BOOK 3

8月30日(月)

お盆から大学も本格的に休みに入ったにもかかわらず、忙しい日々だった。ここにメモすることも、多かったはずなのだが。・・・オープン・キャンパス、実家に帰省、キッザニアを満喫、名古屋訪問・俊くんに会う、あなぶき研究会終了、神戸で部会崩壊の危機・・・・・・いろいろあったな。

今日は、児島の研究会が終了。でも、論文が完成する訳でもなく、満足感というか、やった感に乏しいが・・・1つずつ仕事をこなしていくしかない、と。

読書も切れ切れになりがちな中、ようやく「1Q84 BOOK 3」を読了。途中から読み始める、ということで、なんとなくペースがつかみにくかったのだが、BOOK1,2と同様に、後の方になるにしたがって興味が増してくる感じがある。最終的には、とてもおもしろく読めたし、読了後の感じもよい。おもしろい小説だったな、と思う。壮大な物語を紡いでくれた著者に感謝したい。もうちょっと話の展開は早くして欲しい気持はあるのだけれど。

不安定で、心細い世の中にあっても、自分のスタイルを守り通すことで道が開ける。大切な場所にたどり着ける。感じたことを、文章にするとそんな感じだろうか。誠実な振る舞いは身方をつくるし、世の中の流れに逆らい続けることは、それがいかに大きな組織であろうと、袋小路に陥る。希望が全面に押し出された結末には、やや意外な感じもある。著者の意図がにじみ出ている気がする。

牛河を巡る展開には、著者も迷ったのではないか。タマルと同じように。著者があのキャラクターを好きになっていた感があるし、それで牛河と「空気さなぎ」のラストが用意されたのだろう。あれがなければ、読了後の感覚も変わっただろう。

話は変わるが、映画「ノルウェイの森」の情報が少しずつ出てきている。このフィルムを見る限り、イメージはかなり近い。期待していいのではないだろうか。

リプレイ

8月3日(火)

ケン・グリムウッド「リプレイ」を読んだ。久しぶりの海外小説。もともとは、恩田陸さんの「小説以外」に記述があったので、書店でこの本が目についたのだろう。SFものというか、空想ものというか、この手の小説におもしろいものが多い(例えば、「料理人」)ってことがわかってきたのは、恩田さんのこの本のおかげかもしれない。感謝。

若い頃に戻る、つまりリプレイする、という単純な発想ながら、戻る前の知識を持ったまま戻る、という要素と段々戻る時点が現在に近づく(歳をとった時点に戻される)という要素を加えることによって、ストーリーは多様に展開していく。設定が簡単なためか、話に勢いがあるし、純粋に楽しい。読む価値のある小説である。

この設定なら、全く別のストーリーも可能だろう。例えば、リプレイはあまり多くせずに、人生の苦悩をより深く書き込む手法はあったはずだと思う。例えば、子供を失うことのつらさに焦点を絞ったりして。この小説がヒットしたことで、そういった別バージョンの小説は、絶対に現れないだろうけれど。

この本を読了後、ようやく1Q84の第3巻にとりかかる。さて、いかに・・・。

ビジネス・インサイト

8月2日(月)

昨日は家族サービスで商店街&石明かりロードに繰り出し、えらく歩かされた。健康にはよさそうなものの、本日はやや足が痛い。とはいえ、やっと前期の仕事がひと段落してきて、気分的にはよい感じ。猛暑もそれほど気にならない。早朝の散歩を復活させなければ。

石井淳蔵「ビジネス・インサイト」をちょっと前に読了。ちょっと乗り遅れた感があるけど、非常におもしろく読める。石井先生の筆力は、あいかわらずすごい。「マーケティングの神話」の続編だったとは、読むまで知らなかった。

内容については、まとまった文章を書けるほど理解しているどうか怪しい。しかし、石井先生が議論として分けている「実証主義的な理解」と「偶有性を想定した理解」が、本当に対立するものなのかどうか、という点が、個人的には気になっている。

経営における1つ1つの意思決定の過程の多くは、確かに「他でもありえた現実・世界」としての偶有性が存在しただろうと思う。多くの意思決定者は、多くの選択肢の中で迷い、そして場合によっては、思いもよらないアイディアを実現させていくことになる。しかし、マクロで見ると、つまり、多くの意思決定を集計してみると、試行錯誤を続けながら、その意思決定にたどり着く人が多くいるということがあるのではないか。結果的には、偶有的な現実の中で意思決定をした人たちが集まることによって、ある種の法則性が生まれれることはありえるように思える。もちろん、どのように法則性を記述するかが、重要になるのは間違いないのだが。

昔、石井ゼミの某先輩が、飲み会の席で「コミュニケーションなんて、基本的には成り立たない」という発言をされて、びっくりしたことがある。本書を読んで、15年ぶりぐらいに、ようやくその意味が理解できた。コミュニケーションの不確実性を踏まえた上で、のコミュニケーションという行為をどのように理解すればいいのかは、依然としてわからないのだけれど。