多崎つくる

10月5日(土)

10月に入り、授業開始。授業がなくても慌ただしいけど、よりいっそう慌ただしい毎日が再び。仕事がうまく進まず、焦燥感が募る。結局、仕事がうまく進まないと、満たされた気持ちにはならないのだなぁ。良くも悪くも。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読了。村上氏の中編小説ということで、「アフター・ダーク」みたいな、とらえどころのない話を予想していて、なんとなく気が進まず、本棚に置いたままにしていたのだけど、ずいぶん予想と違った。私としては、好きなスタイルの話だと思う。

今回も性的な話が話のキーポイントとなっている。性的な夢。ホモセクシャル。レイプ。ノーベル賞受賞の壁となっているのが、こうした性的な描写だとも聞く。確かに、最近の著作には、かなり生々しく、決して美しいとは言えない性的描写が多い。ただ、男性だけでなく、人間の人生の中で、性的な要素が占める割合がかなり高いのは事実だし、それが人間の暗部とつながっていることも多いだろう。だから、人間の暗部を描こうとすると、やや病的とも思われる性的な描写で表現することになるのかな、とは思う。とはいえ、やはりやや過剰な感じはするのだけど。

現在の経済に関する捉え方も、違和感としては強い。レクサスで働くアオは、なんだか無駄に働いているみたいだし、社員教育の会社を経営するアカは、宗教家みたい。そういった要素があることは否定しないけど、この偏った捉え方は、なんとかならないだろうか。「産業の洗練化」とか言われると、やや萎える。村上氏と社会との乖離が進んでいるような気が、今回もした。

とはいえ、久しぶりにページを繰るのが速かった作品ではある。村上氏の作品の場合、短編・中編小説の方が、今の私には合っているのかな、と思う。

不惑?

9月9日(月)


1週間ほど前にIMPの学会から戻ってきて、ようやく仕事が一段落。ほう。この週末はゆっくり過ごした。いろいろ買い物をしたり、久しぶりに子供たちとプールに行ったり。昨夜はおよそ1年半ぶりぐらいにお鍋。手羽先も美味。ビール&梅酒もよし。やはり日本の秋は、なんやかやと小さな幸せが多い。

手帳を開いて今後の仕事を整理してみる。to do listはあっという間にいっぱいになる。1つ1つぼちぼちかたづけいくしかないのだけれど、時間は確実に過ぎていく。焦る。人生が動くような、そうでもないような。40手前にして、混乱中。不惑にはほど遠い。

鬱々

7月6日(土)

研究中心の生活が続く。日本に戻ってきたのが3月の末。すぐに北海道へ調査に向かい、コープさっぽろを訪れる。5月末に全国大会の発表。6月末、IMP学会の論文締め切り。この後も7月末に関西部会の発表、9月には、いよいよIMPの学会に参加して、発表する。合間合間には研究会が入るし、研究的には息つく暇がない。

とはいえ、すぐに落ちそうになるモチベーションを、イベントでなんとか支えている、という感じが否めない。昔から怠け者だし、追い込まれないとやらないたちではあるけど、最近はそれがひどくなっているような。体調がよくても、やる気がしない、というのは、あまりなかったような気がするのだけど。

それにミスも多い。一呼吸おいて慎重に考えることができていないからだろうか。会議を忘れる。授業の展開ミス。板書ミス。ゼミの進め方に関するミス。ううむ。年のせいか。考え過ぎか。

漠然と考える。どこに住めばいい?何を研究すればいい?私にとって高松って?ふむむ。なんせ気持ち的にすっきりしないのだわ。

最近は中国に関する本を何冊か読んでいる。池上さんの「そうだったのか」を再読し、キリスト教メンバーに宮台先生が加わったこの本は、途中まで(いまいちかなぁ)。併せて、毛沢東への言及でよく出てくるこの本も手にとってみる。読書はわりと充実しているような気がするな。

At the end of stay


3月26日(火)

ニューポート・パグネルのホテル「デイズ・イン」で,この文章を書いている。イギリスでの生活も実質あと1日。明日は,借りていた家のインベントリー・チェックを受けて,鍵を返し,ヒースロー空港の近くのホテルに向かう。明後日の昼過ぎには,成田行きの飛行機の中にいるはずである。まだ安心はできないけど,イギリスでの在外研究はおおよそ終了。この日がすごく先のような気がしていたけど,振り返ってみれば,あっという間の1年。まあ,どんなところにいても,この感覚はあまり変わらないのかもしれないけど。

在外研究で執筆した論文は,以下の通り。英語の論文3本。うち,2本がカンファレンス用のプロシーディング・ペーパー。1本はジャーナル投稿用。日本語論文1本。企業のウェブ向けの論文が1本。自分用のメモみたいな論文が1本。

振り返ってみると,研究的にはやり残したことが多く,悔しい気持ちの方が強い。滞在の前半は,方法論の勉強にずいぶん多くの時間を使って,こちらで主流のケース方法論はおおむね理解したと思う。しかし,具体的な論文のイメージは,まだあまりはっきりしない。ケースを使った実際の論文をもっと多く読まねばならないのだろう。今回のカンファレンス・ペーパーも,このあたりがもっと理解できていれば,違った形のものになったのになぁ,という気がする。

また,本の執筆とアパレル研究のレビューには手がつけられなかった。本はいつになったら書けるのかなぁ・・・。アパレル研究もデータが古くならないうちにいろいろやらないといけないのだけれど,サプライチェーンの研究をもっと突き詰めたい気持ちが今は強い。うむ,結局在外研究を経ても,中途半端に力が分散される状況は改善できなかったのだ。この点が私の業績のペースを落としているのは,わかっているのだけれど。

反省ばかりになるけれども,人とのつきあい方についても,うまく行ったとは言いがたい。滞在の終わりを迎えるにあたって,何人かの人に挨拶に伺ったけれども,みんなすごく親切に接してくれる。今思えば,早い時期に私の方から積極的に関わっていれば,もっと多くの人たちと交友できただろうと思う。ふと人を避ける性格。こればかりはなかなか直すのは難しいのだけれども,つくづく自分が嫌になることもあった。とはいえ,終盤になって,ジェフ,ポム,ファルーク,マックスらとずいぶん親しく話せるようになって,まあなんとか帳尻を合わせることはできたのかもしれない。英語の能力をもっと磨いて,関係を維持できるようにしっかりやろう。

もちろん,多くの成果があったのも事実。なんとか英語でコミュニケーションをとることができるようになった。ヨーロッパのアカデミアの様子がある程度わかった。英語の論文もなんとか書けるし,方法論についての理解も進んだ。イギリスという美しい(けれど,おいしいもののない)国で1年という時間を過ごし,魅力的な人たちと友達になった。そして何より,家族との一体感を感じながら,日本にいる1年よりも圧倒的に濃い時間を共有した。家族,という観点から見れば,人生の宝のような時間だったと思う。

イギリスで出会った人たち。皆優しい人ばかりだった。ありがとう。何より,私のわがままにつきあってイギリスにきてくれた家族に心から感謝。妻の献身,娘たちの素直さと適応力,そして3人の明るい笑顔がなければ,この滞在は成り立たなかった。

Thank you very very much for everybody who has supported me !



I can't say anything except thank you

3月24日(日)

帰国直前,いろいろな人と会って,毎日充実している。先週はクランフィールドの先生方とランチ。中には初めて食事する先生もいたりして,もっと早くこういう機会があればなぁ,なんて思ったりして・・・。翌日は,バルセロナのワークショップで知り合ったポム君を訪ねて,マンチェスターへ。すごく親切にすべての段取りをしてくれて,いやもうびっくり。そんなにファンって訳ではないけれど,マンチェスター・ユナイテッドのロッカールームで香川のユニフォームを見たときは,結構感動した。夜はポム君といろいろ話をして,友好を深める。なんと同い年とは!翌日はリバプールに行き,一目惚れした時計を購入。びっくりするようなお買い得価格で,満足。



マンチェスターから戻ると,いよいよ帰国準備が本格化。そんな中,金曜の朝には,クリスさんとお別れ。子供たちにプレゼントをもらう。夜は近所のサム・グラント夫妻の家でパーティ。おいしいステーキをいただく。お土産のスコッチウィスキーをグラントがすごく喜んでくれて,かれこれ2時間ぐらいの酒談義。あの家で飲むウイスキーは格別においしい。至福。翌日,やや二日酔いの中,窓掃除。その後,ジェフさん一家と最後の食事。源ちゃん,平君ともしばらくお別れだな。ベッドフォードの中心には初めて行ったけど,キレイなところだ。

皆さん,本当に親切に接してくれてなんとお礼を言えばいいか分からない。ひたすらThank you very muchを繰り返す日々である。

残り2週間


3月12日(火)

東日本大震災から2年が経った。イギリスにいると,被災地に関する情報がどうしても少なくなり,それについて考える時間は,ずいぶんと少なくなってしまっている。たまに思いついて寄付をするぐらいで,普段は被災地の生活に思いが及ぶことはほとんどない。

ただ,昨日読んだ,樋渡武雄市市長のブログで,はっと目を見開かされたような気がした。陸前高田市における東日本大震災追悼式での,遺族代表・小島幸久さん言葉。家族を災害で失うこと。死は生と隣り合わせに存在していること。亡くなった人たちの無念を受け止め,生きることの尊さをかみしめること。そして,前を向いて生きること。

イギリスに来て,家族と共に過ごす時間の貴重さを一層強く感じるようになった。だからこそ,こういった言葉の重さがより一層身に染みるようになったかもしれない。胸に突き刺さる,というようりは,胸がゆっくり,ぐっと詰まる感じ。帰国したら,なんとか東北に行く機会を見つけよう。可能な限り,できることを考えよう。

最近の出来頃。帰国前に行っておきたいところ,ということで,ロンドンに行ったり,世界遺産の植物園,キューガーデンに行ったり。最大のイベントは,バルセロナ。サクラダファミリアを家族に見せたかったのと,暖かい場所で,おいしい料理を食べさせてあげたいのと。なんとか目的は達成。強行軍でやや疲れたけど,天気もよく満足。ほんと贅沢です。





イギリスに戻ると,すぐにロンドンに行き,菜の花会の長地さん,お友達の佐藤さん,それにシャディさんと夕食。とても楽しく,あっという間の2時間。佐藤さんは,徳島でスリッパの製造業を営まれている。帰国後,視察する約束をした。楽しみ。シャディさんにも久しぶりに会えてうれしかった。その後,ジェフさん一家や,ケンブリッジの沖先生一家とも食事。ジェフさんには,まだ会えるかな。ほんとうにお世話になったし,寂しい。

先週末には,2階で漏水が発生。やっぱりまだ故障するか・・・。金曜日の夜,シャワー・タンクの扉の前に浸みを発見。シャワーを浴びるたび,どんどん大きくなる。土曜日の朝,急いでエージェントに連絡。すぐ家主が来てくれるが直らず,シャワーを浴びないでね,とだけ言われる。えー,週末シャワーなしですか・・・。月曜日,エージェントから電話で,明日の朝8時に修理の人が来るとのこと。えー,明日・・・。すでに3日シャワー無しなのですけど・・・とちょっと文句を言ってみるも何かが変わるわけでもなく。仕方ないので,この日は家から一番近いホテルにシャワー目的で泊まることに。車でわずか5分のところに泊まることになるとは・・・。火曜日,いつも水関係の修理にくるおっちゃん(すでに顔見知り)が現れ,ざっとチェック。4つほどバルブを閉めて,終わり。どうもバルブが緩んでいただけらしい。なんだよ。それだけなら,もっと早く来てくれれば・・・。まあ,直ったからいいけどね・・・。これで,最後だよねぇ??

ここ数日は,この夏のカンファレンスのプロシーディングスを書きながら,帰国のための事務作業を進める。家,水道,インターネット,家財道具と自動車の保険,そして銀行。1年前に苦労して契約したのと,逆の作業を繰り返す。ふう。それから,帰国前に挨拶したい人たちとのアポイントメントも。電話したり,メールを書いたりで,細かくプレッシャーが掛かって,けっこう疲れる。

小学校の方でも,3月はイベントが多い。昨日は,長女のトランペットの発表会で,ミルトンキーンズの教会へ。娘たちのグループ(5人)は,ベスト・プレゼンテーション賞を受賞したものの、入賞は逃す。長女はうまく吹いていたし,個人的には一番うまいとおもったのだけれども^^。そして今日は,担任の先生との面談。妻は自宅で子供を見る必要があるため,1人で学校に向かう。以前に1回経験していたものの,会話が大丈夫かな,と不安もありながら。

結果,全く問題なし。子供たちは,驚くべきスピードで英語をものにしつつあり,お世辞も含めてだろうけど、先生からの大絶賛をうんうん,と聞くだけ。最近は,手を上げて発言したり,グループに自分の意見を披露したりするそうで。なんと親孝行な娘たちなんだろう。親はなんと小さなことに心を煩わせていたのだろう。日暮れの帰り道,なんだか泣きそうになりました。いや,ほんとに。

そんな,こんなで,残り少ないイギリスでの時間が過ぎていきます。あと2週間ほど。先が見えてきました。


残り1ヶ月

2月17日(日)

ずいぶん日が長くなった。17時過ぎなのに,まだずいぶん明るい。珍しく,夕方ダイニングでPCに向かっているけど,目の前に夕焼けがあって,夏頃のまぶしい日差しが思い出される感じ。イギリスも春に向かっているようだ。

在外研究も残り1ヶ月と少し。仕上げのような時期に入ってきた。この11ヶ月を振り返ると,まず思うのは,やはり国際舞台で学者が活動するためのベースは「英語」である,ということ。英語の文献を読みこなすスピードは必須。論文はもちろん,本もある程度読みこなせないとしんどい。さらに会話。やはりある程度会話ができる,と思っていないと,積極的になれない。英語を書くことについては,なんとかなる範囲が大きい。英辞郎で表現を調べ,google scholarで頻度をチェックする。イグザンプラーとなる論文から,表現を借りる。そういった工夫で,なんとか書けるようにはなる。

私自身の英語に関して言えば,まだまだ課題は多いし,こちらでもっとやれたことがあったと思う。でも,まあ,なんとかネイティブと英語で会話できるようになったのだから,次第点かなぁ^^ これからもしっかりやらなくては。ちなみに,子供たちの英語が予想以上に上達したのはうれしい限り。まさか,子供たちに英語の発音を注意されるとは思ってなかった。それに,それが結構悔しい,ということも初めて知った^^ 

もう1つ,こちらに来て強く感じたのは,自分という人間の成り立ちというか,本質について。考えてみれば,幼少時代はおっかなびっくり。いろいろなことに不安と恐れを感じながら,細々と生きてきた人間が私であった。すぐお腹は痛くなるし,電話は間違い電話が怖くてかけられない。ちょっとどこかが痛いと,何か大きな病気ではないか,と心配する。湘南に住んでいた時は,すごく地震と津波が怖かった。

そんな人間が,何の因果か,学者という職業について10年。それなりにやれるようになってきた。日本の慣れた職場にいると,本来持っている臆病な気質が,なんだか雲に隠れるようにごまかされていたのだ。いろいろなことが普通にできる人間のように感じてしまっていた,日本での私。

でも,英国にきて,また本来の臆病な自分に改めて出会った。正直,ちょっと面食らった感じはある。そうだ,私はこんな人間だったのだ,と。ある意味,自分に失望し,でもなんだか懐かしいような,そんな感じ。若い頃は,こんな弱い自分をなんとか受け入れようと必死だったのだ。そう思うとこの11ヶ月は見えにくくなっていた本来の自分にもう一度出会った期間だったのかもしれない。この気質とうまくつきあわないと,私はうまく歩けない。

とはいえ,学者としてであれば,こんな自分を抱えながれでも,なんとかもう一歩先に進める「やり方」はあるのだと思う。その方向性が見えたことが,この在外期間中の最も大きな成果かもしれない。幸いにも,私は個人的にやりくり出来る「学者」という職業を選んでいたのだ。やれるように,でも怠けないで進んでいけば,なんとかもう一歩先にいけるのではないか。そんな希望は,確かに感じる。

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明後日から3日間は,研究から離れて少し家族と羽を伸ばそうと思う。その後は,ちょっとスパートをかけて,よい締めくくりで日本に帰りたい。讃岐うどんは恋しいけど,バリーフィールドの景色を見ると,残り少ない時間が残念でならない。でも,そんな複雑な気分になれただけでも,この経験はよいものだった,といえるのかもしれない。


裏声で歌へ君が代


2月3日(日)

久しぶりに本を一冊読み終えた。丸谷才一「裏声で歌へ君が代」。秋にロンドンでJapan festivalという催しに行ったのだけれど,そこの目立たない一角に中古の日本語の本が売られていた。なんか読めそうな本はないか~と必死に探したところ,丸谷さんのこの本を発見。確か70p(約100円)ぐらい。今のような選択の制約状況がなければ,おそらく手に取らなかったであろう本。イギリスでいろいろな日本人の手を渡ってきたのだろう。すでにぼろぼろ。ここでお役目終了にしますね。

内容は,小説形式で「国家とは何か」を論じようとするもの。設定はおそらく1980年代の日本で,蒋経国の時代の台湾を民主化しようとする日本在住の台湾人と主人公の日本人画廊経営者との関係を軸に話が展開する。主人公が出会う様々な人々が,それぞれに国家観を語る構成。

私の感じだと,小説という形式をつかって国家を論じる試みは,半ば成功して,半ば失敗している(偉そうだけど)。確かにいろいろな国家観に触れることができて,なるほどと感じるところはある。一方で,主要な登場人物が皆,ものすごい博識で,それぞれに国家観を語る,というその状況自体がリアリティに欠けていて,「小説」としてのおもしろみを感じにくいのが残念。小説,という器で国家を論じるためには,登場人物に語らせるのではなくて,ストーリーとして語らないと難しいのではないかな,という気がした。もちろん,さすが丸谷さんという感じで、ストーリー展開も巧みだし,読ませるところも多いのだけど。

イギリス滞在が残り2ヶ月となって,やっぱり時間が足りなくなってきている。計画していたことをやりきるのは,ほぼ不可能な状況。ここからは,うまく優先順位をつけて,なるべく効率的に時間を使わなくては。この自由な時間の貴重さが,いよいよ身にしみてきた。

Some bad things and one good thing

1月24日(木)

先週の金曜日から降り出した雪が,今日もまだ一面に残っている。車道はようやく普通に走れる状態になったけど,歩道ままだ雪だらけ。一昨日,バリーフィールドも歩いてみたけど,一面の雪とガス。遭難するかと思った(うそ)。





今週はじめは,学校が休校になり,ゴミの回収がなく,車で買い物にも行けない。高松にいると,こんなに天候に振り回されることもないので,新鮮な気もするけど,やっぱりめんどう。わーわーいいながら,ネットで情報を探したり,びくびくしながら雪の中車を走らせてみたり。慣れない環境というのは,なんやかやと気苦労が多い。

おまけに,今日は2階の水道がでなくなり,洗面所とトイレが使えなくなった。不思議なことに,1階のキッチンは普通に水が出るし,2階のシャワーも使える。2階の普通の水だけがアウト。時間が経てば回復するか,と思ったけど,お昼を過ぎても全くダメ。仕方ないので,管理会社に電話で相談。何回やっても,この手の電話は気が重い。

と,予想外に今日中に誰が人が来てくれるという。3時過ぎ,家主と謎の女性が登場。ひとしきり水回りをチェックし,はしごを持ち込んで屋根裏部屋もチェック。女性は何度も"strange.."とつぶやいていた。結局,原因は分からずじまい。明日もう一度修理に来るという。大丈夫かいな。仕方ないので,トイレはシャワーからペットボトルに水をため,じゃぁと流すことで対処。歯磨きはキッチンで。いつまで,この不自由な生活が続くのやら・・・かなり憂鬱。なんか心なしかトイレがくさいし。

ちなみに,この家に入って10ヶ月で壊れたものリストは以下。

・ガレージの鍵
・ヒーティング
・洗濯機の横の壁
・ドアベル
・カーテンレール
・正面ドアの鍵
・トイレと洗面所の水

古い家を修理しながら使う,というのは,大変なことだなぁ・・・もう壊れないで。お願い。

とはいえ,今日はいいこともあった。投稿予定の英語論文の第1稿が完成。この論文だけに集中して黙々と書いたのに,1ヶ月ぐらいはかかった。投稿できるまでには,まだ時間がかかるだろうけど。焦らず,粛々とやろう。でも,ちょっとうれしい。

天気さえよければ,週末は少し遠くに出かけよう。ちょびっとでも晴れるといいのだけれど。

Winter days


1月14日(月)

今年も2週間が経過。今日は雪。窓から雪景色を見ながら,一生懸命英語論文の執筆に取り組むのだけど,それほど進展しない。焦る。英語で考えようとすると,日本語の思考とぶつかり合うのか,頭にぽっかりと空白ができるような気がする。基本的な構想は日本語でやっている(というか,やらざるを得ない)ので,こういうことが起こるのかな。それでも無理矢理えいやっとやるので,数時間書くと,ぐったり疲れる。論文には問題が山積みだし。はあ,ちょっと萎えかかっているかなぁ。方法論のところは,どうやって書こうか・・・。



年末からお正月にかけての出来事。不覚にも風邪を引いてしまい,鼻水を垂らしながらの年末年始。大晦日の15時には日本は新年を迎えており,Facebookにはそれらしい書き込みが続く。メールにも早速年賀状も届くし,変な感じ。こちらは紅白もないし,ジルベスター・コンサートもないので,早めに寝ようか,と布団に入るが,お隣さんが盛大に年越しパーティをしていて,うるさくて寝られず。新年を迎えると,パーティ会場が隣の空き地に移動して,打ち上げ花火がばんばんあがる。これじゃ,寝ていても目が覚めていたかな。元旦には,妻が頑張ってできる限りのおせち料理を準備してくれて,お煮染め,焼いた海老,お雑煮などを堪能。お刺身の代わりにはミートローフ。お雑煮が絶品で、幸せな気分。その後,車で10分ほどのWilenという湖の湖畔にあるパゴダを訪れ,初詣。鼻水をすすりながらだったけど,天気もよく,気持ちのよい元旦であった。



1月4日には暇つぶしに360という遊戯施設へ。室内に滑り台やボールプール,ゴーカートなどがあり,狭いゴールドタワーといった感じ。イギリスは小学校の休みが多いので,子供連れで遊べる施設が多いようだ。7日は長女の誕生日で,熊のぬいぐるみを買ってあげる。見た目は普通だけど,ハート型のお守りのようなものにキスをして,それを中に入れてくれる。愛着をもたせるための方策としては,なかなかよくできている。夕方から,家族でささやかなパーティ。おやつにケーキ。晩ご飯は唐揚げと天津飯。妻もイギリスの食材に適応して,メニューのバラエティが増えて来た。感謝感謝。クックパットのおかげでもあるけど。

先週末は,車の修理にロンドンまで出かけた。ブレーキから異音がして,てっきりブレーキパッドの消耗だと思ったのだけど,結果的にはブレーキディスクが原因だったよう。まあ,見てもらって安心したのでよし。その後,修理工場の近くに大きなショッピングセンターを見つけてぶらぶら。ZARAで次女に赤いカーディガンを買ってあげた。写真は,Fenwickという百貨店。セールだったからなのか,アウトレットみたいな感じがしたのは気のせいか・・・?。



こうやって,イギリスで買い物できるのも,あとわずかだなぁ。まあ,ZARAは日本にもあるけどね。


New Year's Eve


12月31日(月)

いつもの年なら,クリスマスが終わってから年末までの時間はあっという間に過ぎるものだけど,今年はなかなか年末が来なかった。ようやく大晦日。とはいえ,周囲には全く年末という雰囲気がない。クリスマスが終わって,中だるみのようなだらっとした時間が流れている。イギリスの一般家庭はどうなんだろう?1月2日から通常のカレンダーに戻るようだから,日本で言えば,正月休みの終わり頃の感覚なのかもしれない。そのせいなのかどうなのか,今日はちょっとかぜ気味。妻はテスコへ。子供たちは下でレゴをしている。

そういえば,今年は忘年会がないのだな。唯一,12月の中頃にクリスマスランチ,というのに誘われて,クランフィールドの先生方とパブでランチをした。会話がもつか不安だったけど,周りが話しまくる中で,うなずいているという感じで,たまに会話に入る。まあ,そんなもんか。20日には,39回目の誕生日を迎える。妻がロンドンまで刺身を買いだしに行ってくれて,手巻き寿司を堪能。感謝。22日からは小学校が休みになるも,次女が発熱したので,家族で引きこもってジグゾーパズル。1000ピースがわずか2日半で完成。早い。23日になって,次女がサンタさんに手紙を書くと言い出し,見てみるとリクエストしていたプレゼンとが違う。急遽妻が追加の買い物で,つじつまを合わせる。クリスマスは,イギリス式に25日に祝うことにしたので,24日はプチ・パーティで,ロースト・ビーフ。25日には,ローストチキンを焼いた。26日は,近所の日本語ぺらぺらの友人,サムさん宅でクリスマス・パーティ。おいしいイギリス料理を堪能した。旦那さんのグラントも本当にフレンドリーで,まさにイギリス紳士。楽しかった。



初めて異国で過ごした2012年。心と体を休め,家族と濃密な時間を過ごした。研究には新しい展開が見え,自分の視野がずいぶん変わったと感じる。一方で,ふがいないことも多く,自分の本質的な「無精さ」と「臆病さ」に落胆し,ふさぎ込んだり。でも自分にもできることはあるな,と期待することもあったり。まあ,そういう意味ではいつも通りの堂々巡りを,深く,ゆっくり繰り返したのかもしれない。

2013年は,成果の見える年にしないと。そのためにもあと3ヶ月,しっかりやろう。



Writing for Scholarly Publication

12月30日(日)

年末を迎え,ようやくWriting for Scholarly Publicationをおおよそ読んだ(まだちょっと残っているけど)。よい本であった。メモを掲載しておく。

Huff, A. S. (1999) Writing for Scholarly Publication, Sage Publication

<概論>
  • 学問的に書くことは,対話である。より活動的に関わるために,学問分野の中での社会的な場所を確保すること。「ライティング・コミュニティ」のメンバーが誰なのか,認識すること。
  • 執筆の初期からアドバイスをもらうことは,時間を節約し,書くことを対話的なモードにしてくれる。
  • 論文は,リライトされ,他人に詳しく検討され,またリライトされて,初めてうまく構成される。
  • ①タイトルとアブストラクト,②アウトライン,③イントロダクションと結論,④本文,の順に執筆する。
  • タイトル,アブストラクト,アウトライン,そしてイントロダクションであれば,論文の全体にアドバイスをもらうよりも簡単で,相手の負荷を少なくすることができる。
<心がけ>
  • よりよく考えるために書き,よく考えられると,うまく書ける。
  • 書く前に考え,さらに考えるために書く。
  • 他人からのアドバイスにタフになること。
  • アドバイスを与えるときには,自分の洞察をため込まないこと。
  • 学問的な対話に入れないかもしれない,という不安に打ち勝たなければならない。そのときには,革新や新しい洞察は,しばしば新しい声から生まれたこと,メジャージャーナルは,知られていない著者の論文も掲載してきたことを思い出すこと。

<共同研究でのポイント>
  • ①なるべく早く作業をして返すこと,②自分の手元にある時には,自分のペーパーだと思うこと,③ふるい原稿を復活させない(コピー・ペースとせずに,書き直す)こと。
<コンバーサントとイグザンプラー>
  • 3つから4つのコンバーサント(conversant;自分の研究の貢献の元になる論文や本)を見つけること。
  • あなたが研究者として最も話したい人(コンバーサントの著者)に話しかけるように書くこと。重要なのは,その人たちに,自分の研究が当該分野の理解に重要であることを納得してもらうことである。
  • イグザンプラー((exemplars;模範論文。自分が成し遂げようとする類似の仕事を効率的に成し遂げている論文)は,採用可能な方法の概略を示してくれる。
<執筆のコツ>
  • ①短いセンテンス,②現在形,③能動態,④シンプルな構成,⑤同じ言葉は多くとも2回まで
  • 自分の執筆がもっともはかどる時間,場所,状況を考えること。最もよい執筆環境を確保し,それを高める戦略について考えること。
  • 翌日の執筆のウォームアップのために,執筆の簡単な部分を残しておくこと。毎日書くこと。もし行き詰まっても,機械的な作業(図をつくる,表を直す,参考文献を整備する)ならできる。
  • なるべく早くドラフトを書き上げること(3週間でドラフトを書き上げること。それから1週間で校正すること)。
  • 新しい言葉をつくる,という誘惑を退けること。

<各論>
  • タイトルとアブストラクト;思い通りの読者を惹きつけられるかどうかは,タイトルとアブストラクトに掛かっている。少なくとも3つから4つのタイトルを考えてみること。アブストラクトを書く前に,キーワードを考えること。
  • アウトライン;執筆の前に論文の構造を示すアウトラインを作ること。
  • イントロダクション;イントロダクションを他人に読んでもらうこと。
  • 結論;論文の他のパートをかくまえに,結論を書いてみること。
  • プレゼンテーション;プレゼンテーションは,考えるための1つのやり方であり,考え直す機会であるから,よいプレゼンテーションの準備をするために,分析や執筆をやめること。プレゼンテーションの前には「リハーサル,リハーサル,リハーサル」
  • 本論の執筆;コンバーサントの論文を注意深く読むこと。イグザンプラーを,論文の中心部分を執筆する過程でも、ガイドとして役立てること。


追加 2013年1月3日(木)

Appendix A; Mary Jo Hatchの論文の書き方

アペンディックスには,本書とは異なる方法で論文を書くMary Jo Hatchさんの論文作成法が紹介されていたので,要旨をまとめる。上記の方法がかなりシステマティックで,他人の意見を重視するのに対して、以下の方法はかなり直感的で,自身の興味に素直な書き方であるように思う。


  • 私にとっては、アウトラインはあまり役に立たない。最初に数ページを書き,後で別の数ページを書く。それをもとに編集していく。読み直して,書き,編集する
  • アブストラクトは最後に書く。タイトルもしばしば変更される。
  • 私にとって,書くこととは,アイディアとのインタラクションである。私が探しているのは,わくわくするような,興味を引かれるような何かである。
  • 効率的にしなければ,ということを心配すること自体からは,何も得られない。ただし,1年に1本の出版は,1つの基準である。
  • 寝ている間に,アイディアが洗練されることがある。だから朝の時間は重要だ。それらをつかんで,書き写す。
  • 一番重要な読み手は,自分である。自分は常に読み手になっている。最近は,共著者から多くの対話を得ている。対話は,共著に不可欠である。
  • 学会,研究会は,対話の機会として非常に重要である。友人に会っただけの学会は,全く意味がない。年に5から6の学会に参加する。また,学会の締め切りが,焦点を定めさせ,生産的にしている。学会発表によって,フレーミングを定めることができる。
  • 書く時には,3から4つ,自分のインスピレーションを高めてくれる論文をてもとに置いている。
  • 言葉の単位で文章にこだわりをもっている。それが自分らしい文章を造り上げる。古典の中で好きな文章を徹底的に研究した。
  • プレゼンテーションの際には,多めのスライドをつくっておく。プレゼンの前日の夜に,何を使うか決める。ただし,本番ではそれを破棄し,直感に従ってプレゼンをおこなう。これがライブ感をつくると思う。
  • 書くことができなくなる,ということは自分には大きな問題ではない(あまり起こらない)。その際にできることは,他の文章を書くことに移る。共著者に投げてしまう,ということ。
  • 補完的な関係をもつ共著者がよい。信頼関係を築くことが重要。




昭和史(上)

12月19日(水)

最近,英語のドラマを見て,ヒアリングの練習をしている。今見ているのは,Ugly Betty の first season(リンクを張ろうと思ってサイトを見たら,ネタバレしていた・・・)。これは会話のリスニングの練習には相当効果があって,よしよしと思っているのだけれど,子供たちが寝てからやることになるので,どうも寝付きが悪くなる。寝る前に,パソコンの強い光を見るとどうもいかんのだなぁ。

ということで,今日は睡眠不足で,ペースが上がらず。充実した日の翌日は,ペースが落ちる,という感じが続いている。本を読みながら2回も寝てしまった。まあ,そんなもんかな。

そんな中なんとか読み続けた,ライティングの本,Writing for Scholarly Publicationはものすごくよい。こういう本が普通にある,というのが,英語圏の強みだろうなぁ。読み終わったら,ここにメモを上げることにしよう。

昭和史(上)をようやく読み終わる。知らずに買ったのだけど,東大経済学部の教授が書いたアカデミックな本で,読み応えがあった。特に太平洋戦争さなかの状況は,印象に残った。終戦を告げる昭和天皇の玉音放送。あの放送の前夜には、録音版を奪取しようとする軍部のクーデターがあったのだ。結局未遂に終わるのだけど,終戦間際になっても、思想の戦いがあり,その結果として歴史が作られたことがよくわかる。

日中戦争も,太平洋戦争も回避することができた戦争だし、逆に、天皇の思い切った発言がなければ,内地決戦が本当に行われていたかもしれない。政治が混乱し,首相が頻繁に交代する様子は今の状況と似ていて,恐ろしい。下巻も読みたいけど,帰国後にゆっくり読む時間がとれるかな。



イギリスの凍てついた朝。写真をとるぐらい余裕のある朝はいいよなぁ。残り少ないイギリス生活を想うと,ちょっと複雑な気分になってきた。あと1年ぐらい入れると,いいかも・・・とか^^ 

A Pale View of Hills

12月6日(木)

12月に入り冬至も近づいてきて,イギリスは本当に日が短い。日の出が8時ごろで,日の入りは4時前。明るい時間が8時間足らずというのは,やっぱり変な感じがする。朝は何となく目覚めが悪いし,夕方は散歩がしにくいし。仕方ないので,今日はお昼ご飯を食べて,すぐに散歩に出た。それでもすごく寒くて,昨日降った雪は全然溶けずに凍った状態。家から近いパブリック・フットパスにも行ってみたけど,水たまりは凍っていて,氷はかっちかち。乗っても平気だった。



今日は最高気温が3度,最低はマイナス5度。イギリスはそんなに寒くないと聞いていたのに,ちょっと予想外に寒い。この冬は特に寒くなるようで,ちょっと怖いな。

週末はユーロスターでパリに行ってきた。なぜか長女が昔から行きたい,行きたいと言っていたので,ようやく願いを叶えてあげられてよかった。パリは天気がよくて,凱旋門,エッフェル塔,ノートルダム神院と,どれもすばらしい眺めだった。夕食にはベルギー・レストランで,ムール貝を山ほど堪能。ベルギー・ビールもうまかった。やっぱりフランスは食事がおいしい。まあ,イギリスに比べれば,どこもおいしいような気はするんだけど。



Kazuo Ishiguro "A Pale View of Hills"を読了。秋に日本語訳で読んだので,再読になる。考えてみると,英語で最後まで小説を読んだのは,これが初めてかもしれない。先に日本語で読んでいれば,英語でも理解できるし,英語の方が理解しやすい部分もあったかもしれない。前回よりずいぶんおもしろく読むことができた。

この小説,やはり作品としての完成度は高くないのだと思う。ちょっと欲張り過ぎ,というか,いくつかのテーマが絡み合っていて,物語がすっと入ってこない感じがある。でも,その未完成なところ,(村上さん的に言えば)ごつごつした感じが、だんだん魅力的に思えてくる。

一番ぐっとくるのは,主人公Etsukoが人生を振り返って抱く「諦観」のようなものかなと思う。彼女が主体的に生きるために選んだ人生と,その残酷とも言える結末。彼女のやるせない気持ちがじわじわと伝わってくる。女性はどうやって「自分が主体の人生」を生きるのか。自分の生き方と家族との折り合いをどのようにつけるのか。このテーマのもつ深みが,友人Sachikoとの思い出や娘Nikiとの会話を通して,あぶり出されてくるような仕掛け。このテーマが男性である私の心に響くのだから、女性からすればもっと強い印象を受けるだろう。しかも,この話を男性が,しかもデビュー作で書いた,というは驚くべきことだと思う。

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気がつけば,今年も残り少なくなってきた。ということは,イギリス生活も残りが少なくなってきたということだ。ついでに言えば,38歳も残り少なくなってきたし,30代も残り少ない。なんだか区切りばかりを目指して生きているみたいだけど,人生の節目みたいなものは迫っているのかもしれない。

イギリス研究生活

11月21日(水)

朝,6時20分,起床。メールを確認し,日本のニュースサイトに目を通す。7時ごろ,子供たちが起き出し,朝ご飯。今日は,クランペッツというイギリスのパンケーキのようなものを食す。食感はよいが,ビネガーの酸っぱいにおいが鼻につき,はっきりいってうまくない。バターとジャムを両方つけて,なんとかこなす。イギリスのうまいもの探しは9割方失敗に終わっている(唯一の例外はサンデーロースト)。これについては,妻はあきらめモード。

7時45分ごろ,歯磨きと着替えを終えた子供たちが日本のお勉強開始。いつもはベネッセの「チャレンジ」をやるが,今日は次女だけ国語の教科書をやることに。好きな自動車を選んで,その絵を描き,絵の下にその車の「しごと」と「つくり」に関する文章を書く。次女は「アイスクリーム・トラック」を選択。日本語を書く機会が少ないので,なるべく多く書かせるようにする。ノートに下書きした上で,コピー用紙に清書。なかなかの出来で,次女も満足の様子。

8時30分過ぎ,子供たちが登校。妻は学校まで送っていく。私は,軽くストレッチをした後に,PCの前でBBCのサイトをチェックし,英語の勉強。記事を読み,ビデオでヒアリングのトレーニング。今日はボーイング社が,飛行機を作る際に,その部品を運ぶ巨大飛行機のビデオを見る。すごい。BBCはよい仕事をする(最近,不祥事が多いみたいだけど)。30分ぐらい見て,シャワー,歯磨き,ひげそり。時間は9時半過ぎ。

今日は雨が強いし、特に大学に用事もないので自宅で仕事をすることに。10時頃からダイニングの机で仕事開始,と思いきや,来月予定している旅行のホテル予約を急がないと,部屋がなくなりそう,と妻の声。急いでBooking.comで予約。このサイトがあることで,どれぐらい海外旅行が楽になったかわからない。安定していて,便利。すばらしい。ロンドン,キングス・クロスのプレミア・インを2泊予約。その後,仕事開始。渡航前から書く予定だったサプライチェーンの原稿を執筆。ようやく全体の流れが出来て,それなりに進む。

12時,昼食。妻が子供たちのお弁当と一緒につくってくれたハム&チーズと卵のサンドイッチ。妻は食パンにサラダを挟んで食べる。イギリスの外食産業の酷さと日本食のすばらしさについて,の定番の話題。ちなみに,イギリスで一番ひどかった料理は某日本料理チェーン店の味噌ラーメン,とは妻の意見。

13時,仕事再開。原稿の続きを執筆し,その後,日本から持参したロジスティクスの教科書を読む。内容はよいが,日本語訳がひどい。たまに自分の理解力が乏しいのか,訳が悪いのかわからなくなってくる。15時ごろ,メールへの返信作業。日本からは,来年度の授業に関するメールが増えてきた。来年度の授業についても,考えないとな。

15時30分過ぎ,子供たちが帰宅。おやつ&宿題のお手伝い。今日は,長女のトランペットの練習にもつきあう。ずいぶんうまくなった。その後,雨があがったので30分ほど家の周りを散歩。16時過ぎだけど,外は夕焼け。



その後,また少し仕事,というか勉強。マーケティングの教科書を読む。日本にいるとなかなか読む時間ないので,貴重。

17時45分ごろ,仕事を打ち切り,食卓へ。ワインをちびちび飲みながら,夕食を待つ。あては子供用のサラミだが、ワインには合わない。18時過ぎから夕食でオムライス。その後,パソコンの前で30分ほど動画編集ソフトのインストール&動画編集を試みるが、うまくいかない。仕方なく、あきらめる。

19時半からシャワー。その後,寝室で団らん。20時半から読み聞かせ。21時前,子供たちが就寝。その後,読書。A Pale View of Hills がようやく終盤。2回読むと,理解も進むようだ。22時30分,就寝。

かくも穏やかなイギリスの研究生活。贅沢きわまりない。明日は大学に行こうかな。




Workshop in Barcelona


11月9日(金)

ワークショップに参加するため,バルセロナに滞在中。ワークショップは,今日でなんとか終了。その後,S先生と早めに夕食をしまして,くつろいでいるところ。いやはや,疲れました。このワークショップのタイトル,すごく長くて印象深いから,ここに貼り付けておこう。WORKSHOP ON JOURNAL PUBLISHING FOR NON-NATIVE ENGLISH-SPEAKING RESEARCHERS IN OM。

もちろん,自分の英語の論文がジャーナルに投稿するレベルにないことは,よくわかっていた。でも,いざこちらのPh.D.の学生に,ががっと突っ込まれ,コーディネータの先生(すごく有名なロンドンビジネススクールの先生)に,私が院生に指摘するような当たり前のことを指摘されると(なんで,そんな間違いを犯したのだろう・・・),やっぱりかなり落ち込む。僕は,こちらの大学院生と同レベルか,それ以下なんですね・・・悲しいけれど,それが今の現状です。

でも今回で分かったことも多いので,それを活かして,なんとか前に進んでいかなければ。長期的に見れば,すごく価値のあるワークショップだった,ってことになりそう。そうしなければならないな,と思うし。

しかし,こちらの院生の優秀さには舌を巻いた。オーストリア,スペイン,イラン,タイ,スウェーデン,フィンランド,イタリア。どの院生も優秀だし,浮ついたところもない。黙々と目標に向けて歩いている感じ。この人たちがこの後,学会を引っ張っていくんだな~という印象がある。いや,10年,20年後の日本のアカデミアとの差は,もっとひどくなってくるな。それぐらい圧倒的なシステムと条件の差があるのだわ。

それを考えるとJリーグは偉大だ。あれと同じことを経営学でもやらないといけないのだけど,現状では全く想像できない。

でもまずは,自分の研究。しっかりやろう。

遠い山なみの光


10月31日(水)

28日にサマータイムが終わって,夜暗くなる時間が急に早くなった。夕方4時には薄暗くなり始め,5時には真っ暗。今日はハロウィーンだけど,近所の子供たちは真っ暗な中,家々を巡ることになるようだ。わが家の子供たちも,近所の同級生に誘ってもらい,一緒に近所の家を巡ることになっている。興奮気味に,イベントを待っている様子はほほえましい。私は,子供たちの後から様子をうかがいについて行く予定。さて,どうなりますか。

暗く寒い冬を前にして,今月は小旅行を2回。先々週はオックスフォード,先週はコッツウォルズへ。紅葉も町並みも美しく,満足。イギリス製の愛車・ボクスホールも,なんとか無事に動いてくれていて,一安心。あと半年,なんとか故障なく,動いて・・・くれ。




少し前に,カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」を読了。著者のデビュー作で,舞台はイギリスと日本。長崎からイギリスに移り住んだ悦子の現在と過去の回想が中心。イギリスでは長女の自殺という悲劇を背負う悦子が,いつもは離れて暮らす次女ニキと過ごす数日間の話。他方,日本の物語は過去の回想で,悦子と友人・佐知子、そしてその娘・万里子との交流の話。最後に2つのストーリーが重なり合って幕。ただ,この重なりが最初はピント来ず,解説を読んで,ようやく合点した次第。物語には他にもいろいろなエピソードがちりばめられていて,やや焦点がぼけるというか,ちょっとわかりにくいのかなぁ,と思う。

でも,日本人同士の会話がとても日本人らしくて,この本が翻訳ということを忘れるぐらい自然。これは翻訳者がすばらしいことはもちろんだけど,これがどんな英語から翻訳されているのか、という点にも,ちょっと興味が湧いた。

ということで,今、原著 "A Pale View of Hill"を購入して,読んでいるところ。半ばぐらいまで読み進めたけど、原著も翻訳も,今のところ同じ雰囲気。でも,それは当たり前か。これについては,また後日。

今,家にtrick or treatといって,少女たちがやってきた。いよいよ,ハロウィーンだな。

オリガ・モリソヴナの反語法


10月16日(火)

秋が深まってきた。イギリスの木々はいっぺんに色づく訳ではなく,木によってずいぶん紅葉の進捗が違う。気温は毎朝5度を下回る感じだから,葉が色づくには十分だと思うのだけど,そう簡単ではないらしい。とはいえ,秋のイギリスも美しい。まだ晴天の日も多く,そんな日はこころが和む。

大学では,Ph.D.の学生向けの授業に出してもらおうと,ずいぶん前からお願いしているのだけど,これがなかなかうまく進まない。学科の秘書Lyneeさんにメールでお願いしてから1週間,音沙汰無し。その後,再度お願いしてみるも,また1週間音沙汰無し。うむ。今週の頭にもう一度願いすると、ようやく担当の先生からメールが来た。それに返信するも,ここ2日,返事はなし。授業はずいぶん前から始まっているのに,未だ,出席できるかどうかもよくわからない。うむむ。

授業に出られることになれば,正直,プレッシャーがかかるけど,この少し単調すぎる生活に変化があるかもしれない。考えてみればそんなたいしたことではないかもしれないのだけど,心にもやもやを抱えたまま,状況の進展を待つ今日この頃。早くはっきりすればいいのだけれど。

米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」を読了。この本もロンドン三越の日本語書店で,大枚をはたいて買ったもの。イギリスで日本語の本を買うと高いし,頻繁には買えないので,失敗は許されない。さらに,この本を買ったときは,帰りの電車の時間も迫っていて,早急に買う本を決めないといけない状況だった。米原さんの本は,最初に手にとった書評「打ちのめされるようなすごい本」が好印象で,小説でもおそらく失敗はないであろう,と判断して購入。結果,この判断は正解。最近は本選びの失敗が,本当に減ったと思う。

主人公の志摩は,1960年代,チェコ・プラハに住みながら,ソビエトが運営する小学校で学ぶという過去をもっていた。志摩はそこで出会った,老女の舞踏教師,オリガ・モリソヴナに魅了される。相当な高齢だと思われるが,踊りは超一流。褒め言葉で人をけなす独特の「反語法」で子供を鼓舞しながら,学芸会向けの踊りを完璧仕上げる。大人になった志摩は,謎に包まれたオリガ・モリソヴナの過去を探るために,ソビエト崩壊後のモスクワで謎解きの旅を始める。

基本的には,オリガ・モリソヴナに関わる謎解きが中心のフィクションでありながら,スターリン時代のソビエトに関する史実に基づいて話は展開していき,日本の読者にはあまりなじみのない,社会主義の暗部が物語の強烈なバックグラウンドとなっている。オリガ・モリソヴナとその親族・友人たちが,どのような過酷な時代を生きたのか。その史実が,フィクションである小説を通して読者に伝わるという,珍しい構造の本である。私自身も,スターリン時代のソビエトがいかに過酷で,人間の尊厳を痛めつける社会であったか,ということを,初めてこの本に教えてもらった。

エッセイストとしては超一流の彼女も,小説としてはこれが処女作。そういう意味で,同じ謎解きとはいえ,チャンドラーのような完璧な台詞とストーリー展開があるわけではない。キーとなる人物が都合よく現れすぎたり,台詞が説明的になりすぎるなど,文章,あるいは,小説のスタイルとしての完成度は高くないかもしれない。ただ,オリガ・モリソヴナとその関係者のフィクションとしての人生と,ソビエトという大国の史実を巧みに組み合わせ,ノンフィクションのような迫力と,フィクションとしてのおもしろさを両立させたところは,本当に見事。何より,著者の熱が感じられる小説である。アマゾンの読者評価も,すこぶる高い。心を揺さぶる本だからだろうな。

著者は2006年に56歳で逝去。若すぎる。これから20年ぐらい小説家として活躍してくれれば,もっと完成度の高い作品を読ませてくれただろう。合掌。

追記:
これが,このサイトの100本目の投稿になった。足かけ4年。よく続いたな。

作家と翻訳

10月10日(水)

10日の深夜1時過ぎ。うまく寝られず,まだ起きている。こんな文章を書いていると,さらに寝られなくなるなぁ,と思いながら。でもまあ,明日,急いでやることもないし,とも思いながら。結局書くことにする。

あてもなくネットを見ていると,Numberのサイトで文集文庫 秋の100冊フェアのリンクを見つけた。その海外文学の項に(最近は海外の作品ばっかり読んでいるなぁ),グレイス・ペイリー「人生のちょっとした煩い」が紹介されていた。村上春樹訳。だけど,知らない本だ。

さっそくアマゾンのサイトもチェックしてみる。なになに,「「ペイリーさんの小説は、とにかくひとつ残らず自分の手で訳してみたい」と村上氏が語る、アメリカ文学のカリスマにして伝説の女性作家の第一作品集。」 そんな文章を読んだら,読みたくなるじゃないか。でも,現在,日本語の新しい本を手に入れるためには,けっこうなコストがかかる。ページ数は303。そんなに大部ではないし,すぐ読めてしまいそう。う~む,残念ながら,日本に帰ってからにするか・・。

でも,村上さんの翻訳書は,文学作品としての質も,翻訳の質も高水準なことがわかっているので,いつか必ず手に取ることになると思う。ポイントは,すぐれた作家が翻訳もやっているという点。あたりまえだけど作家が本業なので,翻訳された日本語がすばらしく,読んでいて安心感がある。他の翻訳家の中には,英語の知識はあるんだろうけど,日本語が下手,という人がたまにいる。おそらく日本語をあまり読んでいないんだろうな,と思わせるような翻訳は,やっぱり読んでいてストレスになる。その意味で,村上さんの翻訳は貴重だし,こういう翻訳書を読めることの幸せを感じるべきだな,と最近思うようになった。それに村上さんの作品解説も,いつもすばらしいし。

それはそうと,村上さんの翻訳書,次から次へと出ているなぁ。アマゾンでちょっとチェックしただけでも,未読の本が多数。同じくグレイス・ペイリー「最後の瞬間のすごく大きな変化」カポーティ「誕生日の子供たち」ティム・オブライアン「世界のすべての7月」。あいかわらず,すごい仕事量。まねしたいけど・・・無理なんだよな^^

そういえば,ノーベル文学賞の発表も近づいてきた。とるかな,今年は。

所有せざる人々

9月30日(日)

9月も今日で終わりで,在外もちょうど折り返し地点に到達した。最初の苦労を考えれば,とても穏やかな生活が送れているような気がする今日この頃。体調もよい。この10年ほどで積もり積もった疲れがとれてきたのかな。ゆっくり仕事ができるので,量をこなしても,それほどストレスがたまらない。このブログには疲れた・・と書くことが多いので,そうではないときの記録も残しておかないとな^^

ル・グィン「所有せざる人々」を読了。これまたK先生にはるばるスイスまで持ってきてもらって,受け取った本。プライベートの本をもってきてもらうのはやや気が引けたんだけど,時間のある在外中にゆっくり本を読みたい,という気持ちも押さえきれず,一冊だけお願いした。でもそれだけの価値がある本だった。K先生,本当にありがとうございました。

舞台は,架空の惑星,アナレスとウラス。アナレスは,オドー主義というアナーキズム思想をもつ人々がウラスから亡命して住む惑星。主人公のシェヴェックは,時間の同時性理論を構築しようとするアナレスの物理学者で,自身の物理学を発展させようと,100年以上交流の途絶えたウラスに1人で向かうことになる。資本主義や社会主義の国々が争い,貧富の差が大きいウラスで,シェヴェックは徐々にオドー主義とは異なる世界のありようと,自分がなぜウラスに呼ばれたのを理解し,ついに行動をおこす・・・。

500頁を超える大書で,多様な要素が絡み合い,短くこの本の内容をまとめるのは相当に難しい。シェヴェックの若きころからウラスに向かうまでの章と,ウラスに来てからの章が交互に語られ,2つの惑星の様子が読者に徐々に理解されるようになる。また,オドー主義というアナーキズム思想,そして資本主義,社会主義を巡る世界観が,物語のバックグラウンドとして自然に展開されている。さらに,時間の同時性理論,という,これまた興味深い物理学の理論が、シェヴェックの口から説明され,それもなんとく理解できるな・・という感じで、しっくりと物語と調和している。

本書を読んでいてまず驚かされるのは,このような多様な世界観を,1つにまとめ上げ,読者を違和感なく物語の世界へ引き込んでいくことだ。小説を書く能力だけでなく,思想や科学への知識が著者の中に定着していないと,これだけ複雑な構成の物語を,これだけ自然に描ききることはできないはずだ。ル・グィンといえば,「ゲド戦記」が有名だし、私もそれしか読んだことがなかったけど,この本を読むとゲド戦記はやっぱり子供向けの物語だ・・・と思ってしまう。もちろんゲド戦記だって,特別な物語だと思うんだけど。

それと,最後の解説を読んで分かったこと。著者が,どのようにして,このような壮大にして,複雑な物語を描くことになったのか。それは,「人を表現するため」であったという。

「ル・グィンは,小説を書くというのは,バージニア・ウルフにとってちょうどミセス・ブラウンがそうだったのと同じように、電車の向かい側の席の隅にすわっている老婦人から始まるのだという。それはまた,作者の心の中に現れて,”さあ,わたしは誰だと思います,つかまえられるならつかまえてごらん!”そう挑発する魅力的な人物を捉えようとする行為なのだと。言いかえれば,あらゆる小説は人物を描くものであり,教条を説くためでも歌をうたうためでもないと述べているのだ。」(解説,p.568)

つまり,この本の壮大な世界観と数々の仕掛けは,ひとえに「シェヴェック」という主人公を描くための手段である,ということだ。舞台設定のおもしろさや思想を描くため,という理由でこの物語を書けば,おそらく焦点のぼやけた,仕掛けのわざとらしさだけが目立つ,困った小説になってしまうだろう。シェヴェックというきわめて興味深い,また,物語を有効に立ち上げうる魅力的な人物を描く,という目的がぶれないからこそ,この政治と科学をひっくるめたような舞台設定ができあがったのだろう。う~ん,深い。

しかし,この解説はいい。著者名がなくH.K.のイニシャルのみ。物語を引き立てる解説というのはそれほど多くないけど,この解説はよかった。誰なんだろう・・・?

ついでみたいなったけど,磯淵猛「金の芽 インド紅茶紀行」も読了。ミルトン・キーンズの図書館の、ごくわずかな日本語の本の中から,妻が偶然借りてきたもの。紅茶には全く興味がなかったけど,アッサムとセイロンという紅茶の産地の背後に,こんな物語があったとは。すごく勉強になった。

明日から10月。後半は,少し研究的な挑戦もしてみようと思う。さて、果たしてどうなりますか・・・。