Workshop in Barcelona
11月9日(金)
ワークショップに参加するため,バルセロナに滞在中。ワークショップは,今日でなんとか終了。その後,S先生と早めに夕食をしまして,くつろいでいるところ。いやはや,疲れました。このワークショップのタイトル,すごく長くて印象深いから,ここに貼り付けておこう。WORKSHOP ON JOURNAL PUBLISHING FOR NON-NATIVE ENGLISH-SPEAKING RESEARCHERS IN OM。
もちろん,自分の英語の論文がジャーナルに投稿するレベルにないことは,よくわかっていた。でも,いざこちらのPh.D.の学生に,ががっと突っ込まれ,コーディネータの先生(すごく有名なロンドンビジネススクールの先生)に,私が院生に指摘するような当たり前のことを指摘されると(なんで,そんな間違いを犯したのだろう・・・),やっぱりかなり落ち込む。僕は,こちらの大学院生と同レベルか,それ以下なんですね・・・悲しいけれど,それが今の現状です。
でも今回で分かったことも多いので,それを活かして,なんとか前に進んでいかなければ。長期的に見れば,すごく価値のあるワークショップだった,ってことになりそう。そうしなければならないな,と思うし。
しかし,こちらの院生の優秀さには舌を巻いた。オーストリア,スペイン,イラン,タイ,スウェーデン,フィンランド,イタリア。どの院生も優秀だし,浮ついたところもない。黙々と目標に向けて歩いている感じ。この人たちがこの後,学会を引っ張っていくんだな~という印象がある。いや,10年,20年後の日本のアカデミアとの差は,もっとひどくなってくるな。それぐらい圧倒的なシステムと条件の差があるのだわ。
それを考えるとJリーグは偉大だ。あれと同じことを経営学でもやらないといけないのだけど,現状では全く想像できない。
でもまずは,自分の研究。しっかりやろう。
遠い山なみの光
10月31日(水)
28日にサマータイムが終わって,夜暗くなる時間が急に早くなった。夕方4時には薄暗くなり始め,5時には真っ暗。今日はハロウィーンだけど,近所の子供たちは真っ暗な中,家々を巡ることになるようだ。わが家の子供たちも,近所の同級生に誘ってもらい,一緒に近所の家を巡ることになっている。興奮気味に,イベントを待っている様子はほほえましい。私は,子供たちの後から様子をうかがいについて行く予定。さて,どうなりますか。
暗く寒い冬を前にして,今月は小旅行を2回。先々週はオックスフォード,先週はコッツウォルズへ。紅葉も町並みも美しく,満足。イギリス製の愛車・ボクスホールも,なんとか無事に動いてくれていて,一安心。あと半年,なんとか故障なく,動いて・・・くれ。
少し前に,カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」を読了。著者のデビュー作で,舞台はイギリスと日本。長崎からイギリスに移り住んだ悦子の現在と過去の回想が中心。イギリスでは長女の自殺という悲劇を背負う悦子が,いつもは離れて暮らす次女ニキと過ごす数日間の話。他方,日本の物語は過去の回想で,悦子と友人・佐知子、そしてその娘・万里子との交流の話。最後に2つのストーリーが重なり合って幕。ただ,この重なりが最初はピント来ず,解説を読んで,ようやく合点した次第。物語には他にもいろいろなエピソードがちりばめられていて,やや焦点がぼけるというか,ちょっとわかりにくいのかなぁ,と思う。
でも,日本人同士の会話がとても日本人らしくて,この本が翻訳ということを忘れるぐらい自然。これは翻訳者がすばらしいことはもちろんだけど,これがどんな英語から翻訳されているのか、という点にも,ちょっと興味が湧いた。
ということで,今、原著 "A Pale View of Hill"を購入して,読んでいるところ。半ばぐらいまで読み進めたけど、原著も翻訳も,今のところ同じ雰囲気。でも,それは当たり前か。これについては,また後日。
今,家にtrick or treatといって,少女たちがやってきた。いよいよ,ハロウィーンだな。
オリガ・モリソヴナの反語法
10月16日(火)
秋が深まってきた。イギリスの木々はいっぺんに色づく訳ではなく,木によってずいぶん紅葉の進捗が違う。気温は毎朝5度を下回る感じだから,葉が色づくには十分だと思うのだけど,そう簡単ではないらしい。とはいえ,秋のイギリスも美しい。まだ晴天の日も多く,そんな日はこころが和む。
大学では,Ph.D.の学生向けの授業に出してもらおうと,ずいぶん前からお願いしているのだけど,これがなかなかうまく進まない。学科の秘書Lyneeさんにメールでお願いしてから1週間,音沙汰無し。その後,再度お願いしてみるも,また1週間音沙汰無し。うむ。今週の頭にもう一度願いすると、ようやく担当の先生からメールが来た。それに返信するも,ここ2日,返事はなし。授業はずいぶん前から始まっているのに,未だ,出席できるかどうかもよくわからない。うむむ。
授業に出られることになれば,正直,プレッシャーがかかるけど,この少し単調すぎる生活に変化があるかもしれない。考えてみればそんなたいしたことではないかもしれないのだけど,心にもやもやを抱えたまま,状況の進展を待つ今日この頃。早くはっきりすればいいのだけれど。
米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」を読了。この本もロンドン三越の日本語書店で,大枚をはたいて買ったもの。イギリスで日本語の本を買うと高いし,頻繁には買えないので,失敗は許されない。さらに,この本を買ったときは,帰りの電車の時間も迫っていて,早急に買う本を決めないといけない状況だった。米原さんの本は,最初に手にとった書評「打ちのめされるようなすごい本」が好印象で,小説でもおそらく失敗はないであろう,と判断して購入。結果,この判断は正解。最近は本選びの失敗が,本当に減ったと思う。
主人公の志摩は,1960年代,チェコ・プラハに住みながら,ソビエトが運営する小学校で学ぶという過去をもっていた。志摩はそこで出会った,老女の舞踏教師,オリガ・モリソヴナに魅了される。相当な高齢だと思われるが,踊りは超一流。褒め言葉で人をけなす独特の「反語法」で子供を鼓舞しながら,学芸会向けの踊りを完璧仕上げる。大人になった志摩は,謎に包まれたオリガ・モリソヴナの過去を探るために,ソビエト崩壊後のモスクワで謎解きの旅を始める。
基本的には,オリガ・モリソヴナに関わる謎解きが中心のフィクションでありながら,スターリン時代のソビエトに関する史実に基づいて話は展開していき,日本の読者にはあまりなじみのない,社会主義の暗部が物語の強烈なバックグラウンドとなっている。オリガ・モリソヴナとその親族・友人たちが,どのような過酷な時代を生きたのか。その史実が,フィクションである小説を通して読者に伝わるという,珍しい構造の本である。私自身も,スターリン時代のソビエトがいかに過酷で,人間の尊厳を痛めつける社会であったか,ということを,初めてこの本に教えてもらった。
エッセイストとしては超一流の彼女も,小説としてはこれが処女作。そういう意味で,同じ謎解きとはいえ,チャンドラーのような完璧な台詞とストーリー展開があるわけではない。キーとなる人物が都合よく現れすぎたり,台詞が説明的になりすぎるなど,文章,あるいは,小説のスタイルとしての完成度は高くないかもしれない。ただ,オリガ・モリソヴナとその関係者のフィクションとしての人生と,ソビエトという大国の史実を巧みに組み合わせ,ノンフィクションのような迫力と,フィクションとしてのおもしろさを両立させたところは,本当に見事。何より,著者の熱が感じられる小説である。アマゾンの読者評価も,すこぶる高い。心を揺さぶる本だからだろうな。
著者は2006年に56歳で逝去。若すぎる。これから20年ぐらい小説家として活躍してくれれば,もっと完成度の高い作品を読ませてくれただろう。合掌。
追記:
これが,このサイトの100本目の投稿になった。足かけ4年。よく続いたな。
作家と翻訳
10月10日(水)
10日の深夜1時過ぎ。うまく寝られず,まだ起きている。こんな文章を書いていると,さらに寝られなくなるなぁ,と思いながら。でもまあ,明日,急いでやることもないし,とも思いながら。結局書くことにする。
あてもなくネットを見ていると,Numberのサイトで文集文庫 秋の100冊フェアのリンクを見つけた。その海外文学の項に(最近は海外の作品ばっかり読んでいるなぁ),グレイス・ペイリー「人生のちょっとした煩い」が紹介されていた。村上春樹訳。だけど,知らない本だ。
さっそくアマゾンのサイトもチェックしてみる。なになに,「「ペイリーさんの小説は、とにかくひとつ残らず自分の手で訳してみたい」と村上氏が語る、アメリカ文学のカリスマにして伝説の女性作家の第一作品集。」 そんな文章を読んだら,読みたくなるじゃないか。でも,現在,日本語の新しい本を手に入れるためには,けっこうなコストがかかる。ページ数は303。そんなに大部ではないし,すぐ読めてしまいそう。う~む,残念ながら,日本に帰ってからにするか・・。
でも,村上さんの翻訳書は,文学作品としての質も,翻訳の質も高水準なことがわかっているので,いつか必ず手に取ることになると思う。ポイントは,すぐれた作家が翻訳もやっているという点。あたりまえだけど作家が本業なので,翻訳された日本語がすばらしく,読んでいて安心感がある。他の翻訳家の中には,英語の知識はあるんだろうけど,日本語が下手,という人がたまにいる。おそらく日本語をあまり読んでいないんだろうな,と思わせるような翻訳は,やっぱり読んでいてストレスになる。その意味で,村上さんの翻訳は貴重だし,こういう翻訳書を読めることの幸せを感じるべきだな,と最近思うようになった。それに村上さんの作品解説も,いつもすばらしいし。
それはそうと,村上さんの翻訳書,次から次へと出ているなぁ。アマゾンでちょっとチェックしただけでも,未読の本が多数。同じくグレイス・ペイリー「最後の瞬間のすごく大きな変化」,カポーティ「誕生日の子供たち」,ティム・オブライアン「世界のすべての7月」。あいかわらず,すごい仕事量。まねしたいけど・・・無理なんだよな^^
そういえば,ノーベル文学賞の発表も近づいてきた。とるかな,今年は。
10日の深夜1時過ぎ。うまく寝られず,まだ起きている。こんな文章を書いていると,さらに寝られなくなるなぁ,と思いながら。でもまあ,明日,急いでやることもないし,とも思いながら。結局書くことにする。
あてもなくネットを見ていると,Numberのサイトで文集文庫 秋の100冊フェアのリンクを見つけた。その海外文学の項に(最近は海外の作品ばっかり読んでいるなぁ),グレイス・ペイリー「人生のちょっとした煩い」が紹介されていた。村上春樹訳。だけど,知らない本だ。
さっそくアマゾンのサイトもチェックしてみる。なになに,「「ペイリーさんの小説は、とにかくひとつ残らず自分の手で訳してみたい」と村上氏が語る、アメリカ文学のカリスマにして伝説の女性作家の第一作品集。」 そんな文章を読んだら,読みたくなるじゃないか。でも,現在,日本語の新しい本を手に入れるためには,けっこうなコストがかかる。ページ数は303。そんなに大部ではないし,すぐ読めてしまいそう。う~む,残念ながら,日本に帰ってからにするか・・。
でも,村上さんの翻訳書は,文学作品としての質も,翻訳の質も高水準なことがわかっているので,いつか必ず手に取ることになると思う。ポイントは,すぐれた作家が翻訳もやっているという点。あたりまえだけど作家が本業なので,翻訳された日本語がすばらしく,読んでいて安心感がある。他の翻訳家の中には,英語の知識はあるんだろうけど,日本語が下手,という人がたまにいる。おそらく日本語をあまり読んでいないんだろうな,と思わせるような翻訳は,やっぱり読んでいてストレスになる。その意味で,村上さんの翻訳は貴重だし,こういう翻訳書を読めることの幸せを感じるべきだな,と最近思うようになった。それに村上さんの作品解説も,いつもすばらしいし。
それはそうと,村上さんの翻訳書,次から次へと出ているなぁ。アマゾンでちょっとチェックしただけでも,未読の本が多数。同じくグレイス・ペイリー「最後の瞬間のすごく大きな変化」,カポーティ「誕生日の子供たち」,ティム・オブライアン「世界のすべての7月」。あいかわらず,すごい仕事量。まねしたいけど・・・無理なんだよな^^
そういえば,ノーベル文学賞の発表も近づいてきた。とるかな,今年は。
所有せざる人々
9月30日(日)
9月も今日で終わりで,在外もちょうど折り返し地点に到達した。最初の苦労を考えれば,とても穏やかな生活が送れているような気がする今日この頃。体調もよい。この10年ほどで積もり積もった疲れがとれてきたのかな。ゆっくり仕事ができるので,量をこなしても,それほどストレスがたまらない。このブログには疲れた・・と書くことが多いので,そうではないときの記録も残しておかないとな^^
ル・グィン「所有せざる人々」を読了。これまたK先生にはるばるスイスまで持ってきてもらって,受け取った本。プライベートの本をもってきてもらうのはやや気が引けたんだけど,時間のある在外中にゆっくり本を読みたい,という気持ちも押さえきれず,一冊だけお願いした。でもそれだけの価値がある本だった。K先生,本当にありがとうございました。
舞台は,架空の惑星,アナレスとウラス。アナレスは,オドー主義というアナーキズム思想をもつ人々がウラスから亡命して住む惑星。主人公のシェヴェックは,時間の同時性理論を構築しようとするアナレスの物理学者で,自身の物理学を発展させようと,100年以上交流の途絶えたウラスに1人で向かうことになる。資本主義や社会主義の国々が争い,貧富の差が大きいウラスで,シェヴェックは徐々にオドー主義とは異なる世界のありようと,自分がなぜウラスに呼ばれたのを理解し,ついに行動をおこす・・・。
500頁を超える大書で,多様な要素が絡み合い,短くこの本の内容をまとめるのは相当に難しい。シェヴェックの若きころからウラスに向かうまでの章と,ウラスに来てからの章が交互に語られ,2つの惑星の様子が読者に徐々に理解されるようになる。また,オドー主義というアナーキズム思想,そして資本主義,社会主義を巡る世界観が,物語のバックグラウンドとして自然に展開されている。さらに,時間の同時性理論,という,これまた興味深い物理学の理論が、シェヴェックの口から説明され,それもなんとく理解できるな・・という感じで、しっくりと物語と調和している。
本書を読んでいてまず驚かされるのは,このような多様な世界観を,1つにまとめ上げ,読者を違和感なく物語の世界へ引き込んでいくことだ。小説を書く能力だけでなく,思想や科学への知識が著者の中に定着していないと,これだけ複雑な構成の物語を,これだけ自然に描ききることはできないはずだ。ル・グィンといえば,「ゲド戦記」が有名だし、私もそれしか読んだことがなかったけど,この本を読むとゲド戦記はやっぱり子供向けの物語だ・・・と思ってしまう。もちろんゲド戦記だって,特別な物語だと思うんだけど。
それと,最後の解説を読んで分かったこと。著者が,どのようにして,このような壮大にして,複雑な物語を描くことになったのか。それは,「人を表現するため」であったという。
「ル・グィンは,小説を書くというのは,バージニア・ウルフにとってちょうどミセス・ブラウンがそうだったのと同じように、電車の向かい側の席の隅にすわっている老婦人から始まるのだという。それはまた,作者の心の中に現れて,”さあ,わたしは誰だと思います,つかまえられるならつかまえてごらん!”そう挑発する魅力的な人物を捉えようとする行為なのだと。言いかえれば,あらゆる小説は人物を描くものであり,教条を説くためでも歌をうたうためでもないと述べているのだ。」(解説,p.568)
つまり,この本の壮大な世界観と数々の仕掛けは,ひとえに「シェヴェック」という主人公を描くための手段である,ということだ。舞台設定のおもしろさや思想を描くため,という理由でこの物語を書けば,おそらく焦点のぼやけた,仕掛けのわざとらしさだけが目立つ,困った小説になってしまうだろう。シェヴェックというきわめて興味深い,また,物語を有効に立ち上げうる魅力的な人物を描く,という目的がぶれないからこそ,この政治と科学をひっくるめたような舞台設定ができあがったのだろう。う~ん,深い。
しかし,この解説はいい。著者名がなくH.K.のイニシャルのみ。物語を引き立てる解説というのはそれほど多くないけど,この解説はよかった。誰なんだろう・・・?
ついでみたいなったけど,磯淵猛「金の芽 インド紅茶紀行」も読了。ミルトン・キーンズの図書館の、ごくわずかな日本語の本の中から,妻が偶然借りてきたもの。紅茶には全く興味がなかったけど,アッサムとセイロンという紅茶の産地の背後に,こんな物語があったとは。すごく勉強になった。
明日から10月。後半は,少し研究的な挑戦もしてみようと思う。さて、果たしてどうなりますか・・・。
9月も今日で終わりで,在外もちょうど折り返し地点に到達した。最初の苦労を考えれば,とても穏やかな生活が送れているような気がする今日この頃。体調もよい。この10年ほどで積もり積もった疲れがとれてきたのかな。ゆっくり仕事ができるので,量をこなしても,それほどストレスがたまらない。このブログには疲れた・・と書くことが多いので,そうではないときの記録も残しておかないとな^^
ル・グィン「所有せざる人々」を読了。これまたK先生にはるばるスイスまで持ってきてもらって,受け取った本。プライベートの本をもってきてもらうのはやや気が引けたんだけど,時間のある在外中にゆっくり本を読みたい,という気持ちも押さえきれず,一冊だけお願いした。でもそれだけの価値がある本だった。K先生,本当にありがとうございました。
舞台は,架空の惑星,アナレスとウラス。アナレスは,オドー主義というアナーキズム思想をもつ人々がウラスから亡命して住む惑星。主人公のシェヴェックは,時間の同時性理論を構築しようとするアナレスの物理学者で,自身の物理学を発展させようと,100年以上交流の途絶えたウラスに1人で向かうことになる。資本主義や社会主義の国々が争い,貧富の差が大きいウラスで,シェヴェックは徐々にオドー主義とは異なる世界のありようと,自分がなぜウラスに呼ばれたのを理解し,ついに行動をおこす・・・。
500頁を超える大書で,多様な要素が絡み合い,短くこの本の内容をまとめるのは相当に難しい。シェヴェックの若きころからウラスに向かうまでの章と,ウラスに来てからの章が交互に語られ,2つの惑星の様子が読者に徐々に理解されるようになる。また,オドー主義というアナーキズム思想,そして資本主義,社会主義を巡る世界観が,物語のバックグラウンドとして自然に展開されている。さらに,時間の同時性理論,という,これまた興味深い物理学の理論が、シェヴェックの口から説明され,それもなんとく理解できるな・・という感じで、しっくりと物語と調和している。
本書を読んでいてまず驚かされるのは,このような多様な世界観を,1つにまとめ上げ,読者を違和感なく物語の世界へ引き込んでいくことだ。小説を書く能力だけでなく,思想や科学への知識が著者の中に定着していないと,これだけ複雑な構成の物語を,これだけ自然に描ききることはできないはずだ。ル・グィンといえば,「ゲド戦記」が有名だし、私もそれしか読んだことがなかったけど,この本を読むとゲド戦記はやっぱり子供向けの物語だ・・・と思ってしまう。もちろんゲド戦記だって,特別な物語だと思うんだけど。
それと,最後の解説を読んで分かったこと。著者が,どのようにして,このような壮大にして,複雑な物語を描くことになったのか。それは,「人を表現するため」であったという。
「ル・グィンは,小説を書くというのは,バージニア・ウルフにとってちょうどミセス・ブラウンがそうだったのと同じように、電車の向かい側の席の隅にすわっている老婦人から始まるのだという。それはまた,作者の心の中に現れて,”さあ,わたしは誰だと思います,つかまえられるならつかまえてごらん!”そう挑発する魅力的な人物を捉えようとする行為なのだと。言いかえれば,あらゆる小説は人物を描くものであり,教条を説くためでも歌をうたうためでもないと述べているのだ。」(解説,p.568)
つまり,この本の壮大な世界観と数々の仕掛けは,ひとえに「シェヴェック」という主人公を描くための手段である,ということだ。舞台設定のおもしろさや思想を描くため,という理由でこの物語を書けば,おそらく焦点のぼやけた,仕掛けのわざとらしさだけが目立つ,困った小説になってしまうだろう。シェヴェックというきわめて興味深い,また,物語を有効に立ち上げうる魅力的な人物を描く,という目的がぶれないからこそ,この政治と科学をひっくるめたような舞台設定ができあがったのだろう。う~ん,深い。
しかし,この解説はいい。著者名がなくH.K.のイニシャルのみ。物語を引き立てる解説というのはそれほど多くないけど,この解説はよかった。誰なんだろう・・・?
ついでみたいなったけど,磯淵猛「金の芽 インド紅茶紀行」も読了。ミルトン・キーンズの図書館の、ごくわずかな日本語の本の中から,妻が偶然借りてきたもの。紅茶には全く興味がなかったけど,アッサムとセイロンという紅茶の産地の背後に,こんな物語があったとは。すごく勉強になった。
明日から10月。後半は,少し研究的な挑戦もしてみようと思う。さて、果たしてどうなりますか・・・。
ロング・グッドバイ 再読
9月16日(日)
金曜日,家に帰ると次女が熱を出して寝ていた。というわけで,週末は家でだらだらと過ごす。幸い,次女の症状はたいしたことがなくて,すぐに熱も下がり,今は1階でレゴで遊んでいる。明日は小学校に行けるかな。
9月に入ってクランフィールド大学の修士課程が終わりを迎え,知り合いになった学生たちが一斉に大学を去って行った。多くは日本人だけど,外国人もちらほら。私の乏しい人間関係でも,少しは友達ができたのだけど,彼らが去って行って,少し寂しい。日も短くなってきて,なんだか弱気な私がそろりそろりと幅をきかせてきそうな感じ。そんな中,最近は,J先生にお茶や食事に誘ってもらい,とてもありがたい。私の適当な英語でも理解してくれるし,会話のトレーニングにもなる。何かおかえしができるといいのだけれど。
最近の出来事。日本人の学生たちと家でさよならパーティー。ここぞ,とばかりの快晴で,庭で楽しく食事をすることができた。でも,久しぶりで調子にのって飲み過ぎ,1つ2つ失敗をしでかす。妻に一生言われるレベルの失敗をしでかすとは・・・不覚。家の車をMOTという法定点検に出す。たった40分で終了,パス,と言われて,ぐっと親指を立てられる。よかった・・・とは全く思うことのできない,至極簡単な検査。なんとなく不安なので,日本人運営の修理工場に詳しい検査に出すことにした。一路,ロンドンまで妻とドライブ。2時間半ほどで,無事点検完了。大きな問題はなし。でも,修理を依頼していた左のミラーが割れたまま。新しいものに付け替える際に,また割ったのだとか。日本人経営でも,なんだかイギリス的な話でちょっとおもしろい。昨日は,またまたロンドンに行き,病院で定期検診。特に異常なしだけど,耳の中がかゆいので,かゆみ止めの薬をもらってきた。途中ロンドン三越の書店で,カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」をさんざん迷ったあげく購入。この書店,よくよく調べてみると,価格は日本の倍以上。ちなみに,この本は定価700円で,13ポンド。う~ん,高い。心して読まないと。
チャンドラー「ロング・グッドバイ」,を再読。最近,同じ本を2度読むのは珍しいのだけど,これは以前から再読を決意していたので,日本から文庫を持参してきた。以前に読んだときの感想がこれ(2009年7月)。そのときよりは,すっと物語の中に入っていけた気がする。
今回印象に残ったのは,お金持ちのリンダがマーロウに結婚を迫るシーン。マーロウ42歳,リンダ34歳。大人の心理の描き方が秀逸で,2人の気持ちが行間ににじむ感じ。それと,もう一つの読みどころは,違いなく村上氏の解説。チャンドラーという作家がマーロウという主人公を活躍させる作品群の中で,何をしたのか。この解説は,チャンドラーという作家の革新性が,素人にでも分かる形で提示されている。これを読めば,私にも小説が書けるのではないか,と思わせるほどに・・・というのは,嘘だけど,作家にしか書けない,優れた解説である。
明日から9月も後半。そろそろ研究のペースを上げないと,な。在外も残り半年。しっかりやらなくては。
金曜日,家に帰ると次女が熱を出して寝ていた。というわけで,週末は家でだらだらと過ごす。幸い,次女の症状はたいしたことがなくて,すぐに熱も下がり,今は1階でレゴで遊んでいる。明日は小学校に行けるかな。
9月に入ってクランフィールド大学の修士課程が終わりを迎え,知り合いになった学生たちが一斉に大学を去って行った。多くは日本人だけど,外国人もちらほら。私の乏しい人間関係でも,少しは友達ができたのだけど,彼らが去って行って,少し寂しい。日も短くなってきて,なんだか弱気な私がそろりそろりと幅をきかせてきそうな感じ。そんな中,最近は,J先生にお茶や食事に誘ってもらい,とてもありがたい。私の適当な英語でも理解してくれるし,会話のトレーニングにもなる。何かおかえしができるといいのだけれど。
最近の出来事。日本人の学生たちと家でさよならパーティー。ここぞ,とばかりの快晴で,庭で楽しく食事をすることができた。でも,久しぶりで調子にのって飲み過ぎ,1つ2つ失敗をしでかす。妻に一生言われるレベルの失敗をしでかすとは・・・不覚。家の車をMOTという法定点検に出す。たった40分で終了,パス,と言われて,ぐっと親指を立てられる。よかった・・・とは全く思うことのできない,至極簡単な検査。なんとなく不安なので,日本人運営の修理工場に詳しい検査に出すことにした。一路,ロンドンまで妻とドライブ。2時間半ほどで,無事点検完了。大きな問題はなし。でも,修理を依頼していた左のミラーが割れたまま。新しいものに付け替える際に,また割ったのだとか。日本人経営でも,なんだかイギリス的な話でちょっとおもしろい。昨日は,またまたロンドンに行き,病院で定期検診。特に異常なしだけど,耳の中がかゆいので,かゆみ止めの薬をもらってきた。途中ロンドン三越の書店で,カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」をさんざん迷ったあげく購入。この書店,よくよく調べてみると,価格は日本の倍以上。ちなみに,この本は定価700円で,13ポンド。う~ん,高い。心して読まないと。
チャンドラー「ロング・グッドバイ」,を再読。最近,同じ本を2度読むのは珍しいのだけど,これは以前から再読を決意していたので,日本から文庫を持参してきた。以前に読んだときの感想がこれ(2009年7月)。そのときよりは,すっと物語の中に入っていけた気がする。
今回印象に残ったのは,お金持ちのリンダがマーロウに結婚を迫るシーン。マーロウ42歳,リンダ34歳。大人の心理の描き方が秀逸で,2人の気持ちが行間ににじむ感じ。それと,もう一つの読みどころは,違いなく村上氏の解説。チャンドラーという作家がマーロウという主人公を活躍させる作品群の中で,何をしたのか。この解説は,チャンドラーという作家の革新性が,素人にでも分かる形で提示されている。これを読めば,私にも小説が書けるのではないか,と思わせるほどに・・・というのは,嘘だけど,作家にしか書けない,優れた解説である。
明日から9月も後半。そろそろ研究のペースを上げないと,な。在外も残り半年。しっかりやらなくては。
社会科学のリサーチ・デザイン つづき
9月10日(月)
キング他「社会科学のリサーチ・デザイン」の後半を読了。ようやく全体像がつかめた。
本書の因果的効果の推論についてキーポイントになるのは,因果的効果の推論が、本書の中に示される「因果的効果の定義」に基づいて厳密に捉えられており,この定義に基づかない推論は一切みとめない,という点にあると思う。
「因果的効果とは,説明変数がある値をとるときに得られる観察の体系的な要素と説明変数が別の値をとるときに得られる観察の体系的な要素との差である」(p.97)
一般的な実験計画法と同じように,この定義に従えば,鍵となる説明変数に差があり,それ以外の条件が全く同一の2つの事例(観察)の比較をおこなうことで,説明変数の従属変数に対する因果的効果が推論できる(そして,その比較を厳密にするために,様々な点が考慮されなければならない。例えば,バイアスを避け,有効性を高め,内生性の問題を回避することである)。これらの議論の背後にあるのは統計学の論理であり、私たちがサーベイ調査をおこなう際に配慮する点を,いかにケース・スタディでも配慮するのか,が説かれている,といってもよいと思う。つまり,観察の数(n数)は多い方がよいし,多重共線性に注意し,鍵となる説明変数以外で従属変数に影響を与える変数を統制しなければならない。特に、バイアスを避けるための事例(観察)の選択の仕方は厳密で、参考になる点が多いと思う(経営学では、この点はやや議論が弱い気がする)。
しかし,少なくとも私の知るケース・スタディでは,1つの事例からの(つまり,比較なしの)因果的効果の推論を認める方法論が多いように思う。少なくとも,Yinの方法論は単独の事例から推論される因果メカニズム(因果効果の連鎖)を推論する方法を提示しているし,田村(2006)にも紹介されている「過程追跡」の手法は,それを正面から議論している。このような単独事例の因果推論を認めるかどうかが,私たちの知る一般的な経営学のケース・スタディの考え方と決定的に異なる点だと思う。
個人的には,この本で示されるスタイルも,ケース・スタディの1つのあり方だし,強い説得力があるなと思う一方で,かなり極端な議論だな, とも思う。この本の示す方法によると,ケース・スタディは,定量的な方法が何らかの理由でなじまない(例えば、n数が少ない,あるいは,サーベイ調査になじまない)調査対象に適用される方法,ということになる。さらに,個々の事例から因果的あるいは,記述的推論以外の成果は期待できない,ということにもなる。個人的には,それではケース・スタディがもっている手法としての特徴がとらえきれていないのではないか,と思うのだが・・・。例えば,構成概念の探索,あるいは,仮説の構築・・・。
ただもう少し勉強を続けないと,この辺の結論は出てこないかな。続けて読むとすれば、この本だけど、どうやって手に入れるか・・・。仕方ないので、英語で読むか。いずれにしても、よい勉強になった。
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