人間の器量

12月7日(月)

先週も嵐のように過ぎていきました。水曜日には神戸で懸案のプレゼン。MD研究のレビューを発表してきました。共同発表者の皆さんの助けもあり,こちらは無事終了。よかったです。まだ,この内容を論文にする作業が残っていますが。続けざまに金曜日には,インターゼミ企画のプレゼン資料提出日。こちらは,学生の資料作成にアドバイスをしながら,深夜まで。一喜一憂。まあ,そんなもんですね。

というわけで,週末はようやく一段落して,ゆっくりしました。土曜日は,ほとんど寝ていましたが,昨日はなんとか復活して,散歩に出たり,今後の予定を考えたり,メールを書いたり。こういうのんびりした週末が,いいですね。初冬の気候も,のんびりするのに,ぴったりしています。

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神戸出張の帰り道に買った福田和也著「人間の器量」を読了。この著者の本を読むのは2冊目で,1冊目の「悪の読書術」はなかなかおもしろく読ませてもらいましたので,これも期待して買いました。日経には大きな広告が出てましたね。人気の著者なのでしょうね。今,アマゾンで調べたら,すげーいっぱい本,ありますね。

私自身は,「器」とか「器量」とかいう言葉に,わりと反応するところがあります(斉藤孝さんの「読書入門 人間の器を大きくする名著」,もそうでした)本のメッセージは,日本の器量の大きな偉人を紹介しながら,現代にも「器量の大きな人」を育成しよう,ということ。人間として一部に欠陥があるだけでも,叩かれまくる現代では(タイガーウッズ,かなり可哀想ですよね),過去の偉人のような器の大きい人が簡単には出てこない。けれども,現代でもリーダーたるものは,器の大きな人でないとダメだ,ということ。もちろん,納得です。

ただ,結局「器が大きい」とは何なのか,というのは,やや曖昧なままなのが,残念だなぁと。器が大きいかどうかは,まず本人の柔軟さや豪放さにあると同時に,世間がそれを受け入れるかどうか,ということにも依存しているように思えます。なかなか複雑な概念です。この概念をより精緻化して論じてくれたら,なお一層,よかったのになぁと思う次第です。「いきの構造」みたいに。

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・・・と書きながらつらつら考えましたが,器,とか,器量とか,やっぱり難しい概念ですね。ちょっと考えてみよう。

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