反貧困

12月19日(土)

あいかわらず週末の研究室です。寒い。しかし,寒い。この研究室はいったいどうなっているのだ,という感じで寒いです。暖房の吹き出し口が入り口の上にある,のが解せない。と,今更文句を言っても仕方ないわけではありますが。

来週に向けて,報告資料1,論文1本の完成がノルマになります。ただ,あまり悲壮感なくやれているので,プロセス自体は順調かなと思います。淡々と仕事がこなせるようになってきたのが,最近の進歩ですね。V10の長谷川穂積が言っていた「地味に防衛し続けます」には,通じるところを感じました。しかし,長谷川はすごい。

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さて,湯浅誠「反貧困 すべり台社会からの脱出」岩波新書,についてです。著者は貧困問題を支援するNPO法人の代表を務めていますね。昨年末,派遣村が(偏った視点から)クローズアップされた際に,よくテレビに出ていた人でしょうか?違うのかな?ちょっとわからないのですが,履歴には東大政治学研究科の博士課程単位修得とあります。学問的な教育を受けている人なのですね。そのためもある思いますが,文章は非常に平易で,読みやすいです。

この本を読むきっかけになったのは,立花・佐藤の著書に加えて,たまたま話しをした高校生2名が両者ともこの本を読んだ,と聞いたからでした。私は知っているようなふりをしていましたが,実は未読(笑)。本の存在は知っていたのですが。ただ,その高校生たちが「貧困は,自己責任でなるのではない」と繰り返していたので,ちょっと気になったのでした。やや偏った意見だな,と思ったわけです。

で,本を読んでみた訳ですが,自己責任ではなく貧困に陥るケースが存在していることについては,よくわかりました。この本で一番大切なのは「溜め」という概念ですね。例えば,リストラや派遣切りになって,収入がなくなった際に,例えば,一時的に家族の収入に頼ったり,あるいは,友人に就職の口を紹介してもらったりできるのは,その人に「溜め」があるからであると。また,少なくとも健康体であれば,それも「溜め」があることにもなります。

しかし,例えば,家族とすでに死別していたり,故郷から離れて友達がいなかったり,また,病気を抱えていたりすると,その「溜め」がなく,貧困に一著線に「落ちて」いきます。そこに,社会にセーフティーネットの綻びが重なると,真の貧困が生まれる。このロジックは,かなり明確に伝わってきます。つまり,「溜め」のないひとを貧困から救うのが,セイフティーネットである,と。また,自己責任論に起因する「がんばりすぎ」が,貧困の悪循環を招く点についても,納得できます。これらの点だけでも,この本を読む価値はあったなぁと思いました。

ただ,アカデミックな教育を受けていた人にしては,やや記述が一面的なのが気になります。例えば,生活保護の申請を窓口で却下する件に関する記述です。申請に第三者が同行すると,以前は却下された申請がすんなり通るケースがある,という事例を引いているのですが,なぜそんなことが起こるのかについては触れていません。これでは,単に窓口の人が「悪者」になってしまいます。財政難や申請に関わる事務負担の多さ,コミュニケーションの難しさ,など,考えられる理由はいくつかあります。例えば,貧困層の人たちは,精神的にもかなり追い込まれているはずですから,コミュニケーションは難しいはずですし,そのことは著者自身がよく知っていることでしょう。そのことが,行政の方の負担になっている側面はないのでしょうか。このような不備が発生する理由について触れなければ,読者は行政に悪の印象を強くもっています(その側面があることは否定しませんが)。

といったように,貧困層の側だけでなく,行政の側からもなぜそうなっているのか,について,少しでも注釈があれば,もっと公平に理解できるのになぁと思いました。ただ,貧困の現実,貧困という現象を知る上では,とてもよい本だと思います。いざというときのために「溜め」をつくろう。それが合い言葉です。

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13時に約束した人が研究室に来ません。やれやれ・・・昼ご飯まだなのに,食べにいけないのよ。

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