Say the word

12月28日(月)

今年も押し詰まってきました。1つ1つ仕事は片付きつつありますが,大きな論文が一本。年を越すこと確実。まあ,ぼちぼちやるしかないですね。

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ネットに接続されたパソコンに向かっていると,思わずyou tubeに見入ってしまうことがあります(危険)。そこで最近,Say the wordという安室奈美恵のpvを偶然見つけました。最初は何となく見ていただけなのですが,数回見ているうちにはまってしまい,ここのところ毎日見ています。pvどころか,歌詞のある曲すら聴く機会が激減している最近の私なので,新鮮だったのかもしれません。

なんといっても,赤い衣装でのダンスがいい。南国と思われる小さな空港の滑走路。プロペラ機のような小さな飛行機が時よりフレームにかかります。バックの空が段々明るくなってきますが,曇りがちで,不安定な心持ちの歌詞とかぶります。それがまたいい。ずっと見ていたくなります。

調べてみると,この曲は2001年8月発売。小室プロデュースから独立した第1弾シングル,とあります。最近の安室さんの復活は,ここから始まったわけですね。2001年といえば,私もまだカラオケに行く機会もありましたし,ランキング等はチェックしていたと思うのですが,あまり記憶にありません。あまり売れなかったのでしょうか。

ちょっと興味が出たので安室さんの最近のpvもyou tubeで見たのですけど,さほどピンと来ないのですね。ちょっとかっこよすぎる・・・という感じ。私にとっては,小室テイストがやや残ったsay the wordの方が心地いい,ということでしょう。若い時代に親しんだものが,体に染みついているというか。よくカラオケで聴きましたもんねぇ。Body Feel Exitとか,You are Sunshineとか。懐かしいなぁ。

ただ,安室さんにしてもテイストを変えていかないと,自分のモチベーション的にも耐えられなかったのでしょうね。それもすごくよくわかります。その模索から,現在の人気があるわけですが,ファンは昔の姿を求めている部分もあったりして,難しいのですよね。

たぶん,安室さん的にもsay the wordのようなテイストの曲,pvはやろうと思えばいつでもできるのでしょう。でも,それを求めていない部分がある。無理にやっても,乗り切れず,昔のようなクオリティではできない。そういうもんなんだと思います。宮崎駿もそうだし,坂本龍一もそんな感じがします。トトロやenergy flowは,もうできない,と。だから一瞬の輝きを逃がさないように鑑賞する必要がある,ということなのでしょうか。儚い。

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というわけで,卒論読みに戻ります。図書館の3階という結構集中できる場所を見つけたので,そこに行ってもう一仕事です。

反貧困

12月19日(土)

あいかわらず週末の研究室です。寒い。しかし,寒い。この研究室はいったいどうなっているのだ,という感じで寒いです。暖房の吹き出し口が入り口の上にある,のが解せない。と,今更文句を言っても仕方ないわけではありますが。

来週に向けて,報告資料1,論文1本の完成がノルマになります。ただ,あまり悲壮感なくやれているので,プロセス自体は順調かなと思います。淡々と仕事がこなせるようになってきたのが,最近の進歩ですね。V10の長谷川穂積が言っていた「地味に防衛し続けます」には,通じるところを感じました。しかし,長谷川はすごい。

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さて,湯浅誠「反貧困 すべり台社会からの脱出」岩波新書,についてです。著者は貧困問題を支援するNPO法人の代表を務めていますね。昨年末,派遣村が(偏った視点から)クローズアップされた際に,よくテレビに出ていた人でしょうか?違うのかな?ちょっとわからないのですが,履歴には東大政治学研究科の博士課程単位修得とあります。学問的な教育を受けている人なのですね。そのためもある思いますが,文章は非常に平易で,読みやすいです。

この本を読むきっかけになったのは,立花・佐藤の著書に加えて,たまたま話しをした高校生2名が両者ともこの本を読んだ,と聞いたからでした。私は知っているようなふりをしていましたが,実は未読(笑)。本の存在は知っていたのですが。ただ,その高校生たちが「貧困は,自己責任でなるのではない」と繰り返していたので,ちょっと気になったのでした。やや偏った意見だな,と思ったわけです。

で,本を読んでみた訳ですが,自己責任ではなく貧困に陥るケースが存在していることについては,よくわかりました。この本で一番大切なのは「溜め」という概念ですね。例えば,リストラや派遣切りになって,収入がなくなった際に,例えば,一時的に家族の収入に頼ったり,あるいは,友人に就職の口を紹介してもらったりできるのは,その人に「溜め」があるからであると。また,少なくとも健康体であれば,それも「溜め」があることにもなります。

しかし,例えば,家族とすでに死別していたり,故郷から離れて友達がいなかったり,また,病気を抱えていたりすると,その「溜め」がなく,貧困に一著線に「落ちて」いきます。そこに,社会にセーフティーネットの綻びが重なると,真の貧困が生まれる。このロジックは,かなり明確に伝わってきます。つまり,「溜め」のないひとを貧困から救うのが,セイフティーネットである,と。また,自己責任論に起因する「がんばりすぎ」が,貧困の悪循環を招く点についても,納得できます。これらの点だけでも,この本を読む価値はあったなぁと思いました。

ただ,アカデミックな教育を受けていた人にしては,やや記述が一面的なのが気になります。例えば,生活保護の申請を窓口で却下する件に関する記述です。申請に第三者が同行すると,以前は却下された申請がすんなり通るケースがある,という事例を引いているのですが,なぜそんなことが起こるのかについては触れていません。これでは,単に窓口の人が「悪者」になってしまいます。財政難や申請に関わる事務負担の多さ,コミュニケーションの難しさ,など,考えられる理由はいくつかあります。例えば,貧困層の人たちは,精神的にもかなり追い込まれているはずですから,コミュニケーションは難しいはずですし,そのことは著者自身がよく知っていることでしょう。そのことが,行政の方の負担になっている側面はないのでしょうか。このような不備が発生する理由について触れなければ,読者は行政に悪の印象を強くもっています(その側面があることは否定しませんが)。

といったように,貧困層の側だけでなく,行政の側からもなぜそうなっているのか,について,少しでも注釈があれば,もっと公平に理解できるのになぁと思いました。ただ,貧困の現実,貧困という現象を知る上では,とてもよい本だと思います。いざというときのために「溜め」をつくろう。それが合い言葉です。

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13時に約束した人が研究室に来ません。やれやれ・・・昼ご飯まだなのに,食べにいけないのよ。

ぼくらの頭脳の鍛え方

12月16日(水)

先週末は,学生と一緒に東京に行ってきました。他大学のゼミ生と共に合同ゼミを実施。なかなか充実していました。プレゼン大会では,我がゼミ生のグループが1位と3位を獲得し,学生は大喜び。私もうれしかったのですが,他のゼミに悪いような,でもほっとしたような微妙な気分でした。なんとなく落ち着かなかったので,その後の懇親会などで,働きまくりました。はは。

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東京への行きと帰りは新幹線で。その中で立花隆・佐藤優「ぼくらの頭脳の鍛え方」文集文庫,と湯浅誠「反貧困 -すべり台からの脱出」岩波新書,を読みました。どちらも,よい本でした。

私がこの仕事に就いて教養不足を痛感したのは,立花隆さんのこの本を読んだ後でした。ひどくショックだったことを覚えています。それまでは必死に自分の専門の本だけを読んでいた(読まざるを得なかった)わけですが,それではダメだ,と気づかされたわけです。私たちの世代は,強制的に本を読むような雰囲気が大学になかった世代です。絶対的に教養がない。それをどう克服するか。私たち世代の教育者全員が,よい教育をするために真剣に考えなくてはいけない問題です。

今回の著書からも同じような感覚を受けるわけですが,その衝撃は昔より軽くなっていました。立花氏,佐藤氏の2人が話している内容自体には,そんなに新しいことは多くなく(他の著書からも,その内容が伺える),付属の「読むべき本」のリストの方が重要,という気がします。今後本を選択する上でのよいバイブルができました。もちろん,全体としても,非常によい本なんですけど。

そして,そのリストからまず一冊選んだのが「反貧困」。こちらももよい本でしたが,感想は後日。

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来年の1月までに書かないといけない論文が2本半。さて,できるのでしょうか・・・。

人間の器量

12月7日(月)

先週も嵐のように過ぎていきました。水曜日には神戸で懸案のプレゼン。MD研究のレビューを発表してきました。共同発表者の皆さんの助けもあり,こちらは無事終了。よかったです。まだ,この内容を論文にする作業が残っていますが。続けざまに金曜日には,インターゼミ企画のプレゼン資料提出日。こちらは,学生の資料作成にアドバイスをしながら,深夜まで。一喜一憂。まあ,そんなもんですね。

というわけで,週末はようやく一段落して,ゆっくりしました。土曜日は,ほとんど寝ていましたが,昨日はなんとか復活して,散歩に出たり,今後の予定を考えたり,メールを書いたり。こういうのんびりした週末が,いいですね。初冬の気候も,のんびりするのに,ぴったりしています。

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神戸出張の帰り道に買った福田和也著「人間の器量」を読了。この著者の本を読むのは2冊目で,1冊目の「悪の読書術」はなかなかおもしろく読ませてもらいましたので,これも期待して買いました。日経には大きな広告が出てましたね。人気の著者なのでしょうね。今,アマゾンで調べたら,すげーいっぱい本,ありますね。

私自身は,「器」とか「器量」とかいう言葉に,わりと反応するところがあります(斉藤孝さんの「読書入門 人間の器を大きくする名著」,もそうでした)本のメッセージは,日本の器量の大きな偉人を紹介しながら,現代にも「器量の大きな人」を育成しよう,ということ。人間として一部に欠陥があるだけでも,叩かれまくる現代では(タイガーウッズ,かなり可哀想ですよね),過去の偉人のような器の大きい人が簡単には出てこない。けれども,現代でもリーダーたるものは,器の大きな人でないとダメだ,ということ。もちろん,納得です。

ただ,結局「器が大きい」とは何なのか,というのは,やや曖昧なままなのが,残念だなぁと。器が大きいかどうかは,まず本人の柔軟さや豪放さにあると同時に,世間がそれを受け入れるかどうか,ということにも依存しているように思えます。なかなか複雑な概念です。この概念をより精緻化して論じてくれたら,なお一層,よかったのになぁと思う次第です。「いきの構造」みたいに。

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・・・と書きながらつらつら考えましたが,器,とか,器量とか,やっぱり難しい概念ですね。ちょっと考えてみよう。