コベントリー


5月29日(火)

週末は,コベントリーという街へドライブ。最初は景色を楽しみながら下道で行こうと思っていたのだけど,道が細くて,結構時間がかかる。やっぱり高速道路で行こうか,ということで,高速入口に向かう。入り口手前の橋の前で一時停止していると,前の車が急にバックしてきて,コツン。やばい!一瞬,英語での交渉と事故処理の悪夢が頭をよぎる。

幸い双方の車にはなんの損傷もなく,そのまま分かれることに。"Lovely~"といって去って行った兄ちゃん。何がLovelyだ。ちなみに,こっちの人は何かというと"Lovely"。子供たちはしばらく"Lovely~"と言い合って,喜んでいた。

というわけで,トラブルを乗り越えつつ,ようやくコベントリーに到着。第2次世界大戦中にひどい空爆を受けたということで,古い建物は少なく,街の中心部は近代的なショッピングセンターになっている。ケンブリッジもそうだったのだけど,街の中心に再開発されたショッピングセンターが結構ある。どうやって整備したのか。効率的なやり方があるのだろうか。まとまった書物があるといいけど。



街のランドマーク,カセドラルも戦争の影響なのか,煤でやや黒い。が,とても美しい。また,平和を願うモニュメントにも心を打たれた。広島に同じものが寄贈されているらしく,日本語の説明もあった。




その後,無料の交通博物館もちょっと見学。日帰り旅行にはちょうどよい街で,満足して帰途に着く。

実は,この街で行われるオリンピック・男子サッカーのチケットを手に入れることができた。8月1日,日本対ホンジュラス。下見はばっちり。初の五輪観戦ツアーin UK。さて,どうなるかなぁ。

イギリス生活トラブルリスト

5月23日(水)

ずっと寒い日が続いていたのに、昨日から急に暖かく、ではなくて、暑くなった。今日の最高気温は26度。子供たちは急遽、半袖の制服を買いに行って、涼しげに。私も、長袖をやめて、七分袖のシャツを着た。家の前は、タンポポの綿毛で白くなっている。これだけ多いのは、初めて見るな。



5月に入って生活の立ち上げ作業は一段落したのだけれど、その後もいろいろなことがあった。最初に起こったのは、車のパンク。大学で釘を踏んだらしく、知らずに家まで戻ると、タイヤがへこみ始めている。時間は夕方5時前。急いでガレージのおっちゃんに電話で助けをもとめたけど、修理店の兄ちゃんが来てくれるまで電話で四苦八苦。無事パンクは直ったものの、その後の処理を説明してくれた電話がよく理解できず。家で待っていても何の連絡もない。3日後に修理工場に行ってみたら、修理済みのタイヤがあり、そこで支払いもできた。よく理解できなかった電話は、店に来いって言っていたんだなぁ。

ほっと一息、と思ったら、今後は次女が発熱。しかし風邪の症状はなく、なんだか奇妙。運悪く連休のど真ん中だったので、日本から持参の抗生物質を飲ませることに。4日後、無事に熱はさがったものの、続いて膀胱炎らしき症状が現れ、次女は頻繁にトイレに行く。仕方なく、初のGP(簡易診察所みたいなところ)へ。朝、症状を紙に書いた上で、予約を取りに行くと、3時過ぎに来てくれ、とのこと。時間になって次女と共にGPへ赴くと、30分ほど待って、診察。先週、風邪で抗生物質を飲ませた、というと「何のための抗生物質なのか」としつこく聞かれる。風邪用だ、という言うと、理解できない、という感じで首を振る女医。日本では普通なんです、抗生物質。診察の結果、症状は特にひどくないので、痛み止めを飲んでおけ、とのことで、治療のための薬はもらえなかった。日本では膀胱炎だと、すぐに抗菌薬?をくれるらしいんだけど・・・。でも次女は無事回復。よかった。

やれやれ、と思っていたら、次はなんだか家のヒーティングシステムがおかしい。温風は出るのだけれど、スイッチを切っても、暖かくない風の送風が止まらない。日によっては、一日中止まらない。仕方ないので、不動産屋に相談。夕方、様子を見に来てくれて、「確かにおかしいから、エンジニアを呼んでやる。明日は家にいるか」、とのこと。おー、明日来てくれるの?こちらは暇だから、家にいるで、と答える。しかし、翌日、待てど暮らせど、エンジニアからの連絡はなし。やはりね。

翌日は、大家から依頼された別のエンジニアが、備え付けの洗濯機と冷蔵庫のチェックに来るという。エンジニアは時間通りに来たものの、洗濯機を動かす際に横の壁を破壊。なんで・・・。怖いので、写真をとって、またまた不動産屋に駆け込む。すでにエンジニアから連絡があったようで、ノープロブレムだという。はぁ。ヒーティングのエンジニアについては、今調整中だから、とのこと。そう言っている担当の若いお姉ちゃんが怪しいんだよな。しっかり仕事してんのか?

その後の2日間も連絡はなく、ゴーゴー言いっ放しのヒーティングとともに週末を過ごす。結局、エンジニアが来たのは今日。1週間かかりました。さて、うまくヒーティングが直っているといいのだけれど・・・。

というわけで、いろいろありますなぁ。英語での交渉だけは、だんだんましになってきてるかもしれないけど。

しかし、こうやってかくと、なんだか苦労ばかりしているみたいだけど、おおむね生活の方は平穏無事。夕方のビールで小さな幸せを感じる日々が続く。ビールがうまい季節だ。

LONDON PRIDE

5月12日(土)

今日は土曜日だけど、午前中は論文執筆。学会報告用のプロシーディングペーパーは、来週の金曜日が締め切り。英文校正をしてもらうことを考えると、なんとか今日中には仕上げて、原稿を淳子さんに送る必要があった。久しぶりに6時に起きて朝食まで執筆。子供の勉強につきあった後、また2時間ほど執筆して、お昼前にようやく第1稿が完成。爽快感はないけど、まあなんとか英文で書き上げた。ちょっと一息つける感じ。

こちらに来る前に頭にあった研究面での目標は、英文での論文執筆能力を向上させる、という漠然としたもの。なんとかここ数年の間に、それなりのジャーナルに論文を載せたい。だだ、こちらに来る前は、何がキーポイントなのかは、よくわかっていなかった。勉強する時間はあるから、英文の論文をひたすら読めば、何かつかめるだろう、くらいの感じ。

しかし、実際こっちに来てみると、わりとあっさり課題が判明。事例研究の方法論。1年間だけの滞在なので、こちらでアンケート調査をできるわけではないし、インタビュー調査で深いデータがとれるとも思えない。可能なのは、日本の事例のデータを使って、論文を書くことくらい。その意味では、事例研究がキーになることはわかっていたのだけど、その方法論については、それほど意識していなかった。それが、ジャネット先生に私の論文を見てもらったら、速攻の一言。方法論がダメ。さっそく、文献をいろいろ紹介してもらって、勉強をスタートすることができた。

これは考えれば、考えるほどラッキーなことだった。私の今の能力を考えると、統計的な手法よりは、事例の方法論を地道に突き詰めた方が、よい論文を書ける可能性は高いと思う。さらに、事例の方法論が進んでいるのは、オペレーションズ・マネジメント、という異分野であり、私が普通に過ごしていたら、その議論に接するのはずいぶん遅くなっただろう。読む本や論文は山ほどあるけど、山ほど読めば、何かつかめると思う。論文執筆が一段落したら、早速方法論の勉強に戻ろう。

やっぱりこの歳になって、研究だけできる1年というのは、本当に貴重。なおかつ、家族と一緒で。さらに、勉強が終わるとうまくて安いビールが飲めて^^

昨日飲んだ、LONDON PRIDE。上品な味わい。まだまだおいしいビールがありそう。それが一番うれしかったりして。



イギリスの小学校

5月8日(火)

イギリスは昨日まで3連休。後の2日をほけっ・・と過ごしたせいで、ずいぶんと体が重い。ちょっと風邪気味な感じもある。ずっと気を張ってきた反動がでているのかもしれないな。気をつけないと。

子供たちも小学校に通いだして3週目に入る。今のところ楽しそうに通っている。渡航前、なんといっても子供の小学校が一番心配だっただけに、無事通学できているのは、本当にありがたい。

下の写真は登校初日。2人でお弁当袋を下げて小学校に向かう。自宅から徒歩3分のPortfields School。すごく評判のよい小学校で、ここに入るために、この場所に家を借りた、というのが本当のところ。ちなみに、次女は日本でいうと、この春から1年生なので、初めての登校になる。2人で登校するのも、やっぱり初めて。



初登校の前日、ちょっとした面談と制服購入のために、親子で小学校を訪れた。Headteacherに案内されて、子供たちと一緒に明日から入るクラスに向かう。子供たちを事前に紹介してくれるらしい。まずは次女のYear1のクラス。かっちこちに緊張している次女だが、なんとか自分の名前を英語で言えた。えらい。次に先生から「明日から、お世話をしてくれる子、誰ですか~」と声がかかると、ばばっと競うように手が挙がる。よく教育が行き届いている。親としては、これだけで少し安心できる。

長女のYear4のクラスでも、同じように、自己紹介の後に「お世話してくれる人は~」のくだりがある。やっぱり多くの手が挙がる。教室を出るときには、いろいろな子が長女に手を振ってくれる。日本で転校生、っていうと、教室の前に立たされた転校生を、教室全体が固唾をのんで見守る・・という定番の光景が思い浮かぶけど、ああいった固い雰囲気は全然ない。不思議なものである。

家に戻ってきて、子供たちに聞いてみると、やはり少しほっとした、とのこと。異国の転校生が安心して通える小学校をつくる、というのは、やっぱりちょっとすごい。おそらく、根本は小学校に務めることのステイタスが高く、優秀な人材が働いている、ということだと思う。もちろん、いろいろと問題もあるのだろうけど、素直に感心してしまった。子供たちも、いろいろなことを学んでくれるだろうと期待している。


ネット契約の顛末

5月3日(金)

ようやく自宅のネットがつながった。4月5日にこの家に入居したから、やっぱり1ヶ月ぐらいはかかったな。

契約したのは、virgin media。少しでも早く自宅にネットをつなぎたいと思って、大学のネットにアクセスできるようになって、すぐにvirginのサイトに行ってみる。どうもうちの家でもつながりそう、とのこと。値段もそれほど高くないし。しかし、銀行口座が必要なことが判明し、やや落胆。カードじゃだめか。

翌日、必要書類をもって、銀行に行く。しかし、正式な手続きは、そこでアポイントをとってから、後日となる。そこで3日ぐらい待たされる。改めて銀行に行き、2時間ぐらい説明をうけて(しかし長い)、やっと口座開設。次は、日本の口座から、新しい口座にお金を送金。日本の銀行はcitiだけど、送金の説明はそれほど親切とはいえない。1回手続きを誤り、後日再チャレンジ。なんとか送金が完了。その後、再度virginのサイトて、ネットの手続き開始。ふう。

ネット開始の手続きをネットでやる、というのもなんだか変な感じはするけど、とりあえず必要な情報を入力。これで終わりか・・と思ったところに、「ここに電話しろ」との画面が現れる。なぜ・・・。5分ほど逡巡。この日は、たまたま子供たちの小学校登校初日で「子供たちもがんばっているんだから・・・」と気持ちを奮い立たせ、えいやっと電話してみる(ちなみに、その日、子供たちは「すごく楽しかった!」と超ごきげんで帰ってきたのだけど・・・)。

「今、ネットで手続きをしたんだけど、電話しろの画面が出たから、しました」的なことを言ってみると、「今ネットの手続きは混んでいるから、この電話でもう一度申し込みしろ」とのこと。ネットが混んでる??そんなことあんのか?こっちは、電話で説明するのが嫌だから、ネットで手続きしてんだよ、という私の気持ちが向こうに伝わるはずもなく、1から電話で情報を説明・・・。しかし、こちらの名前を伝えるだけでも一苦労。本当に大丈夫か・・・と思いながら、悪銭苦闘の20数分。こんなに疲れる20分もないな、という感じで、・・・・なんとか終了。

家にルーターが届くまでに1週間ほど。つないでみても、ネットがつながらず、家の電話回線が壊れているんじゃないか、と疑い出したりして(すごい細いケーブルでちょこっとつながっているだけの、すごくちゃちな接続部分なので)やきもきしたけど、なんとかつながって、ほっと胸をなで下ろしたのが一昨日のこと。しかし、こうやって書いてみると、ネットをつなげるだけなのに、えらく苦労しているような気がする。まあ、こんもんなのかなぁ。

なんかいろいろ書くはずが、ネットの顛末でこんなに長くなりました。もう少し明るい話は、また後日に。

下の写真は、自宅前。信じられないような芝生が広がっています。めずらしく晴れた一瞬の風景。