多崎つくる

10月5日(土)

10月に入り、授業開始。授業がなくても慌ただしいけど、よりいっそう慌ただしい毎日が再び。仕事がうまく進まず、焦燥感が募る。結局、仕事がうまく進まないと、満たされた気持ちにはならないのだなぁ。良くも悪くも。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読了。村上氏の中編小説ということで、「アフター・ダーク」みたいな、とらえどころのない話を予想していて、なんとなく気が進まず、本棚に置いたままにしていたのだけど、ずいぶん予想と違った。私としては、好きなスタイルの話だと思う。

今回も性的な話が話のキーポイントとなっている。性的な夢。ホモセクシャル。レイプ。ノーベル賞受賞の壁となっているのが、こうした性的な描写だとも聞く。確かに、最近の著作には、かなり生々しく、決して美しいとは言えない性的描写が多い。ただ、男性だけでなく、人間の人生の中で、性的な要素が占める割合がかなり高いのは事実だし、それが人間の暗部とつながっていることも多いだろう。だから、人間の暗部を描こうとすると、やや病的とも思われる性的な描写で表現することになるのかな、とは思う。とはいえ、やはりやや過剰な感じはするのだけど。

現在の経済に関する捉え方も、違和感としては強い。レクサスで働くアオは、なんだか無駄に働いているみたいだし、社員教育の会社を経営するアカは、宗教家みたい。そういった要素があることは否定しないけど、この偏った捉え方は、なんとかならないだろうか。「産業の洗練化」とか言われると、やや萎える。村上氏と社会との乖離が進んでいるような気が、今回もした。

とはいえ、久しぶりにページを繰るのが速かった作品ではある。村上氏の作品の場合、短編・中編小説の方が、今の私には合っているのかな、と思う。

不惑?

9月9日(月)


1週間ほど前にIMPの学会から戻ってきて、ようやく仕事が一段落。ほう。この週末はゆっくり過ごした。いろいろ買い物をしたり、久しぶりに子供たちとプールに行ったり。昨夜はおよそ1年半ぶりぐらいにお鍋。手羽先も美味。ビール&梅酒もよし。やはり日本の秋は、なんやかやと小さな幸せが多い。

手帳を開いて今後の仕事を整理してみる。to do listはあっという間にいっぱいになる。1つ1つぼちぼちかたづけいくしかないのだけれど、時間は確実に過ぎていく。焦る。人生が動くような、そうでもないような。40手前にして、混乱中。不惑にはほど遠い。

鬱々

7月6日(土)

研究中心の生活が続く。日本に戻ってきたのが3月の末。すぐに北海道へ調査に向かい、コープさっぽろを訪れる。5月末に全国大会の発表。6月末、IMP学会の論文締め切り。この後も7月末に関西部会の発表、9月には、いよいよIMPの学会に参加して、発表する。合間合間には研究会が入るし、研究的には息つく暇がない。

とはいえ、すぐに落ちそうになるモチベーションを、イベントでなんとか支えている、という感じが否めない。昔から怠け者だし、追い込まれないとやらないたちではあるけど、最近はそれがひどくなっているような。体調がよくても、やる気がしない、というのは、あまりなかったような気がするのだけど。

それにミスも多い。一呼吸おいて慎重に考えることができていないからだろうか。会議を忘れる。授業の展開ミス。板書ミス。ゼミの進め方に関するミス。ううむ。年のせいか。考え過ぎか。

漠然と考える。どこに住めばいい?何を研究すればいい?私にとって高松って?ふむむ。なんせ気持ち的にすっきりしないのだわ。

最近は中国に関する本を何冊か読んでいる。池上さんの「そうだったのか」を再読し、キリスト教メンバーに宮台先生が加わったこの本は、途中まで(いまいちかなぁ)。併せて、毛沢東への言及でよく出てくるこの本も手にとってみる。読書はわりと充実しているような気がするな。

At the end of stay


3月26日(火)

ニューポート・パグネルのホテル「デイズ・イン」で,この文章を書いている。イギリスでの生活も実質あと1日。明日は,借りていた家のインベントリー・チェックを受けて,鍵を返し,ヒースロー空港の近くのホテルに向かう。明後日の昼過ぎには,成田行きの飛行機の中にいるはずである。まだ安心はできないけど,イギリスでの在外研究はおおよそ終了。この日がすごく先のような気がしていたけど,振り返ってみれば,あっという間の1年。まあ,どんなところにいても,この感覚はあまり変わらないのかもしれないけど。

在外研究で執筆した論文は,以下の通り。英語の論文3本。うち,2本がカンファレンス用のプロシーディング・ペーパー。1本はジャーナル投稿用。日本語論文1本。企業のウェブ向けの論文が1本。自分用のメモみたいな論文が1本。

振り返ってみると,研究的にはやり残したことが多く,悔しい気持ちの方が強い。滞在の前半は,方法論の勉強にずいぶん多くの時間を使って,こちらで主流のケース方法論はおおむね理解したと思う。しかし,具体的な論文のイメージは,まだあまりはっきりしない。ケースを使った実際の論文をもっと多く読まねばならないのだろう。今回のカンファレンス・ペーパーも,このあたりがもっと理解できていれば,違った形のものになったのになぁ,という気がする。

また,本の執筆とアパレル研究のレビューには手がつけられなかった。本はいつになったら書けるのかなぁ・・・。アパレル研究もデータが古くならないうちにいろいろやらないといけないのだけれど,サプライチェーンの研究をもっと突き詰めたい気持ちが今は強い。うむ,結局在外研究を経ても,中途半端に力が分散される状況は改善できなかったのだ。この点が私の業績のペースを落としているのは,わかっているのだけれど。

反省ばかりになるけれども,人とのつきあい方についても,うまく行ったとは言いがたい。滞在の終わりを迎えるにあたって,何人かの人に挨拶に伺ったけれども,みんなすごく親切に接してくれる。今思えば,早い時期に私の方から積極的に関わっていれば,もっと多くの人たちと交友できただろうと思う。ふと人を避ける性格。こればかりはなかなか直すのは難しいのだけれども,つくづく自分が嫌になることもあった。とはいえ,終盤になって,ジェフ,ポム,ファルーク,マックスらとずいぶん親しく話せるようになって,まあなんとか帳尻を合わせることはできたのかもしれない。英語の能力をもっと磨いて,関係を維持できるようにしっかりやろう。

もちろん,多くの成果があったのも事実。なんとか英語でコミュニケーションをとることができるようになった。ヨーロッパのアカデミアの様子がある程度わかった。英語の論文もなんとか書けるし,方法論についての理解も進んだ。イギリスという美しい(けれど,おいしいもののない)国で1年という時間を過ごし,魅力的な人たちと友達になった。そして何より,家族との一体感を感じながら,日本にいる1年よりも圧倒的に濃い時間を共有した。家族,という観点から見れば,人生の宝のような時間だったと思う。

イギリスで出会った人たち。皆優しい人ばかりだった。ありがとう。何より,私のわがままにつきあってイギリスにきてくれた家族に心から感謝。妻の献身,娘たちの素直さと適応力,そして3人の明るい笑顔がなければ,この滞在は成り立たなかった。

Thank you very very much for everybody who has supported me !



I can't say anything except thank you

3月24日(日)

帰国直前,いろいろな人と会って,毎日充実している。先週はクランフィールドの先生方とランチ。中には初めて食事する先生もいたりして,もっと早くこういう機会があればなぁ,なんて思ったりして・・・。翌日は,バルセロナのワークショップで知り合ったポム君を訪ねて,マンチェスターへ。すごく親切にすべての段取りをしてくれて,いやもうびっくり。そんなにファンって訳ではないけれど,マンチェスター・ユナイテッドのロッカールームで香川のユニフォームを見たときは,結構感動した。夜はポム君といろいろ話をして,友好を深める。なんと同い年とは!翌日はリバプールに行き,一目惚れした時計を購入。びっくりするようなお買い得価格で,満足。



マンチェスターから戻ると,いよいよ帰国準備が本格化。そんな中,金曜の朝には,クリスさんとお別れ。子供たちにプレゼントをもらう。夜は近所のサム・グラント夫妻の家でパーティ。おいしいステーキをいただく。お土産のスコッチウィスキーをグラントがすごく喜んでくれて,かれこれ2時間ぐらいの酒談義。あの家で飲むウイスキーは格別においしい。至福。翌日,やや二日酔いの中,窓掃除。その後,ジェフさん一家と最後の食事。源ちゃん,平君ともしばらくお別れだな。ベッドフォードの中心には初めて行ったけど,キレイなところだ。

皆さん,本当に親切に接してくれてなんとお礼を言えばいいか分からない。ひたすらThank you very muchを繰り返す日々である。

残り2週間


3月12日(火)

東日本大震災から2年が経った。イギリスにいると,被災地に関する情報がどうしても少なくなり,それについて考える時間は,ずいぶんと少なくなってしまっている。たまに思いついて寄付をするぐらいで,普段は被災地の生活に思いが及ぶことはほとんどない。

ただ,昨日読んだ,樋渡武雄市市長のブログで,はっと目を見開かされたような気がした。陸前高田市における東日本大震災追悼式での,遺族代表・小島幸久さん言葉。家族を災害で失うこと。死は生と隣り合わせに存在していること。亡くなった人たちの無念を受け止め,生きることの尊さをかみしめること。そして,前を向いて生きること。

イギリスに来て,家族と共に過ごす時間の貴重さを一層強く感じるようになった。だからこそ,こういった言葉の重さがより一層身に染みるようになったかもしれない。胸に突き刺さる,というようりは,胸がゆっくり,ぐっと詰まる感じ。帰国したら,なんとか東北に行く機会を見つけよう。可能な限り,できることを考えよう。

最近の出来頃。帰国前に行っておきたいところ,ということで,ロンドンに行ったり,世界遺産の植物園,キューガーデンに行ったり。最大のイベントは,バルセロナ。サクラダファミリアを家族に見せたかったのと,暖かい場所で,おいしい料理を食べさせてあげたいのと。なんとか目的は達成。強行軍でやや疲れたけど,天気もよく満足。ほんと贅沢です。





イギリスに戻ると,すぐにロンドンに行き,菜の花会の長地さん,お友達の佐藤さん,それにシャディさんと夕食。とても楽しく,あっという間の2時間。佐藤さんは,徳島でスリッパの製造業を営まれている。帰国後,視察する約束をした。楽しみ。シャディさんにも久しぶりに会えてうれしかった。その後,ジェフさん一家や,ケンブリッジの沖先生一家とも食事。ジェフさんには,まだ会えるかな。ほんとうにお世話になったし,寂しい。

先週末には,2階で漏水が発生。やっぱりまだ故障するか・・・。金曜日の夜,シャワー・タンクの扉の前に浸みを発見。シャワーを浴びるたび,どんどん大きくなる。土曜日の朝,急いでエージェントに連絡。すぐ家主が来てくれるが直らず,シャワーを浴びないでね,とだけ言われる。えー,週末シャワーなしですか・・・。月曜日,エージェントから電話で,明日の朝8時に修理の人が来るとのこと。えー,明日・・・。すでに3日シャワー無しなのですけど・・・とちょっと文句を言ってみるも何かが変わるわけでもなく。仕方ないので,この日は家から一番近いホテルにシャワー目的で泊まることに。車でわずか5分のところに泊まることになるとは・・・。火曜日,いつも水関係の修理にくるおっちゃん(すでに顔見知り)が現れ,ざっとチェック。4つほどバルブを閉めて,終わり。どうもバルブが緩んでいただけらしい。なんだよ。それだけなら,もっと早く来てくれれば・・・。まあ,直ったからいいけどね・・・。これで,最後だよねぇ??

ここ数日は,この夏のカンファレンスのプロシーディングスを書きながら,帰国のための事務作業を進める。家,水道,インターネット,家財道具と自動車の保険,そして銀行。1年前に苦労して契約したのと,逆の作業を繰り返す。ふう。それから,帰国前に挨拶したい人たちとのアポイントメントも。電話したり,メールを書いたりで,細かくプレッシャーが掛かって,けっこう疲れる。

小学校の方でも,3月はイベントが多い。昨日は,長女のトランペットの発表会で,ミルトンキーンズの教会へ。娘たちのグループ(5人)は,ベスト・プレゼンテーション賞を受賞したものの、入賞は逃す。長女はうまく吹いていたし,個人的には一番うまいとおもったのだけれども^^。そして今日は,担任の先生との面談。妻は自宅で子供を見る必要があるため,1人で学校に向かう。以前に1回経験していたものの,会話が大丈夫かな,と不安もありながら。

結果,全く問題なし。子供たちは,驚くべきスピードで英語をものにしつつあり,お世辞も含めてだろうけど、先生からの大絶賛をうんうん,と聞くだけ。最近は,手を上げて発言したり,グループに自分の意見を披露したりするそうで。なんと親孝行な娘たちなんだろう。親はなんと小さなことに心を煩わせていたのだろう。日暮れの帰り道,なんだか泣きそうになりました。いや,ほんとに。

そんな,こんなで,残り少ないイギリスでの時間が過ぎていきます。あと2週間ほど。先が見えてきました。


残り1ヶ月

2月17日(日)

ずいぶん日が長くなった。17時過ぎなのに,まだずいぶん明るい。珍しく,夕方ダイニングでPCに向かっているけど,目の前に夕焼けがあって,夏頃のまぶしい日差しが思い出される感じ。イギリスも春に向かっているようだ。

在外研究も残り1ヶ月と少し。仕上げのような時期に入ってきた。この11ヶ月を振り返ると,まず思うのは,やはり国際舞台で学者が活動するためのベースは「英語」である,ということ。英語の文献を読みこなすスピードは必須。論文はもちろん,本もある程度読みこなせないとしんどい。さらに会話。やはりある程度会話ができる,と思っていないと,積極的になれない。英語を書くことについては,なんとかなる範囲が大きい。英辞郎で表現を調べ,google scholarで頻度をチェックする。イグザンプラーとなる論文から,表現を借りる。そういった工夫で,なんとか書けるようにはなる。

私自身の英語に関して言えば,まだまだ課題は多いし,こちらでもっとやれたことがあったと思う。でも,まあ,なんとかネイティブと英語で会話できるようになったのだから,次第点かなぁ^^ これからもしっかりやらなくては。ちなみに,子供たちの英語が予想以上に上達したのはうれしい限り。まさか,子供たちに英語の発音を注意されるとは思ってなかった。それに,それが結構悔しい,ということも初めて知った^^ 

もう1つ,こちらに来て強く感じたのは,自分という人間の成り立ちというか,本質について。考えてみれば,幼少時代はおっかなびっくり。いろいろなことに不安と恐れを感じながら,細々と生きてきた人間が私であった。すぐお腹は痛くなるし,電話は間違い電話が怖くてかけられない。ちょっとどこかが痛いと,何か大きな病気ではないか,と心配する。湘南に住んでいた時は,すごく地震と津波が怖かった。

そんな人間が,何の因果か,学者という職業について10年。それなりにやれるようになってきた。日本の慣れた職場にいると,本来持っている臆病な気質が,なんだか雲に隠れるようにごまかされていたのだ。いろいろなことが普通にできる人間のように感じてしまっていた,日本での私。

でも,英国にきて,また本来の臆病な自分に改めて出会った。正直,ちょっと面食らった感じはある。そうだ,私はこんな人間だったのだ,と。ある意味,自分に失望し,でもなんだか懐かしいような,そんな感じ。若い頃は,こんな弱い自分をなんとか受け入れようと必死だったのだ。そう思うとこの11ヶ月は見えにくくなっていた本来の自分にもう一度出会った期間だったのかもしれない。この気質とうまくつきあわないと,私はうまく歩けない。

とはいえ,学者としてであれば,こんな自分を抱えながれでも,なんとかもう一歩先に進める「やり方」はあるのだと思う。その方向性が見えたことが,この在外期間中の最も大きな成果かもしれない。幸いにも,私は個人的にやりくり出来る「学者」という職業を選んでいたのだ。やれるように,でも怠けないで進んでいけば,なんとかもう一歩先にいけるのではないか。そんな希望は,確かに感じる。

********

明後日から3日間は,研究から離れて少し家族と羽を伸ばそうと思う。その後は,ちょっとスパートをかけて,よい締めくくりで日本に帰りたい。讃岐うどんは恋しいけど,バリーフィールドの景色を見ると,残り少ない時間が残念でならない。でも,そんな複雑な気分になれただけでも,この経験はよいものだった,といえるのかもしれない。