New Year's Eve


12月31日(月)

いつもの年なら,クリスマスが終わってから年末までの時間はあっという間に過ぎるものだけど,今年はなかなか年末が来なかった。ようやく大晦日。とはいえ,周囲には全く年末という雰囲気がない。クリスマスが終わって,中だるみのようなだらっとした時間が流れている。イギリスの一般家庭はどうなんだろう?1月2日から通常のカレンダーに戻るようだから,日本で言えば,正月休みの終わり頃の感覚なのかもしれない。そのせいなのかどうなのか,今日はちょっとかぜ気味。妻はテスコへ。子供たちは下でレゴをしている。

そういえば,今年は忘年会がないのだな。唯一,12月の中頃にクリスマスランチ,というのに誘われて,クランフィールドの先生方とパブでランチをした。会話がもつか不安だったけど,周りが話しまくる中で,うなずいているという感じで,たまに会話に入る。まあ,そんなもんか。20日には,39回目の誕生日を迎える。妻がロンドンまで刺身を買いだしに行ってくれて,手巻き寿司を堪能。感謝。22日からは小学校が休みになるも,次女が発熱したので,家族で引きこもってジグゾーパズル。1000ピースがわずか2日半で完成。早い。23日になって,次女がサンタさんに手紙を書くと言い出し,見てみるとリクエストしていたプレゼンとが違う。急遽妻が追加の買い物で,つじつまを合わせる。クリスマスは,イギリス式に25日に祝うことにしたので,24日はプチ・パーティで,ロースト・ビーフ。25日には,ローストチキンを焼いた。26日は,近所の日本語ぺらぺらの友人,サムさん宅でクリスマス・パーティ。おいしいイギリス料理を堪能した。旦那さんのグラントも本当にフレンドリーで,まさにイギリス紳士。楽しかった。



初めて異国で過ごした2012年。心と体を休め,家族と濃密な時間を過ごした。研究には新しい展開が見え,自分の視野がずいぶん変わったと感じる。一方で,ふがいないことも多く,自分の本質的な「無精さ」と「臆病さ」に落胆し,ふさぎ込んだり。でも自分にもできることはあるな,と期待することもあったり。まあ,そういう意味ではいつも通りの堂々巡りを,深く,ゆっくり繰り返したのかもしれない。

2013年は,成果の見える年にしないと。そのためにもあと3ヶ月,しっかりやろう。



Writing for Scholarly Publication

12月30日(日)

年末を迎え,ようやくWriting for Scholarly Publicationをおおよそ読んだ(まだちょっと残っているけど)。よい本であった。メモを掲載しておく。

Huff, A. S. (1999) Writing for Scholarly Publication, Sage Publication

<概論>
  • 学問的に書くことは,対話である。より活動的に関わるために,学問分野の中での社会的な場所を確保すること。「ライティング・コミュニティ」のメンバーが誰なのか,認識すること。
  • 執筆の初期からアドバイスをもらうことは,時間を節約し,書くことを対話的なモードにしてくれる。
  • 論文は,リライトされ,他人に詳しく検討され,またリライトされて,初めてうまく構成される。
  • ①タイトルとアブストラクト,②アウトライン,③イントロダクションと結論,④本文,の順に執筆する。
  • タイトル,アブストラクト,アウトライン,そしてイントロダクションであれば,論文の全体にアドバイスをもらうよりも簡単で,相手の負荷を少なくすることができる。
<心がけ>
  • よりよく考えるために書き,よく考えられると,うまく書ける。
  • 書く前に考え,さらに考えるために書く。
  • 他人からのアドバイスにタフになること。
  • アドバイスを与えるときには,自分の洞察をため込まないこと。
  • 学問的な対話に入れないかもしれない,という不安に打ち勝たなければならない。そのときには,革新や新しい洞察は,しばしば新しい声から生まれたこと,メジャージャーナルは,知られていない著者の論文も掲載してきたことを思い出すこと。

<共同研究でのポイント>
  • ①なるべく早く作業をして返すこと,②自分の手元にある時には,自分のペーパーだと思うこと,③ふるい原稿を復活させない(コピー・ペースとせずに,書き直す)こと。
<コンバーサントとイグザンプラー>
  • 3つから4つのコンバーサント(conversant;自分の研究の貢献の元になる論文や本)を見つけること。
  • あなたが研究者として最も話したい人(コンバーサントの著者)に話しかけるように書くこと。重要なのは,その人たちに,自分の研究が当該分野の理解に重要であることを納得してもらうことである。
  • イグザンプラー((exemplars;模範論文。自分が成し遂げようとする類似の仕事を効率的に成し遂げている論文)は,採用可能な方法の概略を示してくれる。
<執筆のコツ>
  • ①短いセンテンス,②現在形,③能動態,④シンプルな構成,⑤同じ言葉は多くとも2回まで
  • 自分の執筆がもっともはかどる時間,場所,状況を考えること。最もよい執筆環境を確保し,それを高める戦略について考えること。
  • 翌日の執筆のウォームアップのために,執筆の簡単な部分を残しておくこと。毎日書くこと。もし行き詰まっても,機械的な作業(図をつくる,表を直す,参考文献を整備する)ならできる。
  • なるべく早くドラフトを書き上げること(3週間でドラフトを書き上げること。それから1週間で校正すること)。
  • 新しい言葉をつくる,という誘惑を退けること。

<各論>
  • タイトルとアブストラクト;思い通りの読者を惹きつけられるかどうかは,タイトルとアブストラクトに掛かっている。少なくとも3つから4つのタイトルを考えてみること。アブストラクトを書く前に,キーワードを考えること。
  • アウトライン;執筆の前に論文の構造を示すアウトラインを作ること。
  • イントロダクション;イントロダクションを他人に読んでもらうこと。
  • 結論;論文の他のパートをかくまえに,結論を書いてみること。
  • プレゼンテーション;プレゼンテーションは,考えるための1つのやり方であり,考え直す機会であるから,よいプレゼンテーションの準備をするために,分析や執筆をやめること。プレゼンテーションの前には「リハーサル,リハーサル,リハーサル」
  • 本論の執筆;コンバーサントの論文を注意深く読むこと。イグザンプラーを,論文の中心部分を執筆する過程でも、ガイドとして役立てること。


追加 2013年1月3日(木)

Appendix A; Mary Jo Hatchの論文の書き方

アペンディックスには,本書とは異なる方法で論文を書くMary Jo Hatchさんの論文作成法が紹介されていたので,要旨をまとめる。上記の方法がかなりシステマティックで,他人の意見を重視するのに対して、以下の方法はかなり直感的で,自身の興味に素直な書き方であるように思う。


  • 私にとっては、アウトラインはあまり役に立たない。最初に数ページを書き,後で別の数ページを書く。それをもとに編集していく。読み直して,書き,編集する
  • アブストラクトは最後に書く。タイトルもしばしば変更される。
  • 私にとって,書くこととは,アイディアとのインタラクションである。私が探しているのは,わくわくするような,興味を引かれるような何かである。
  • 効率的にしなければ,ということを心配すること自体からは,何も得られない。ただし,1年に1本の出版は,1つの基準である。
  • 寝ている間に,アイディアが洗練されることがある。だから朝の時間は重要だ。それらをつかんで,書き写す。
  • 一番重要な読み手は,自分である。自分は常に読み手になっている。最近は,共著者から多くの対話を得ている。対話は,共著に不可欠である。
  • 学会,研究会は,対話の機会として非常に重要である。友人に会っただけの学会は,全く意味がない。年に5から6の学会に参加する。また,学会の締め切りが,焦点を定めさせ,生産的にしている。学会発表によって,フレーミングを定めることができる。
  • 書く時には,3から4つ,自分のインスピレーションを高めてくれる論文をてもとに置いている。
  • 言葉の単位で文章にこだわりをもっている。それが自分らしい文章を造り上げる。古典の中で好きな文章を徹底的に研究した。
  • プレゼンテーションの際には,多めのスライドをつくっておく。プレゼンの前日の夜に,何を使うか決める。ただし,本番ではそれを破棄し,直感に従ってプレゼンをおこなう。これがライブ感をつくると思う。
  • 書くことができなくなる,ということは自分には大きな問題ではない(あまり起こらない)。その際にできることは,他の文章を書くことに移る。共著者に投げてしまう,ということ。
  • 補完的な関係をもつ共著者がよい。信頼関係を築くことが重要。




昭和史(上)

12月19日(水)

最近,英語のドラマを見て,ヒアリングの練習をしている。今見ているのは,Ugly Betty の first season(リンクを張ろうと思ってサイトを見たら,ネタバレしていた・・・)。これは会話のリスニングの練習には相当効果があって,よしよしと思っているのだけれど,子供たちが寝てからやることになるので,どうも寝付きが悪くなる。寝る前に,パソコンの強い光を見るとどうもいかんのだなぁ。

ということで,今日は睡眠不足で,ペースが上がらず。充実した日の翌日は,ペースが落ちる,という感じが続いている。本を読みながら2回も寝てしまった。まあ,そんなもんかな。

そんな中なんとか読み続けた,ライティングの本,Writing for Scholarly Publicationはものすごくよい。こういう本が普通にある,というのが,英語圏の強みだろうなぁ。読み終わったら,ここにメモを上げることにしよう。

昭和史(上)をようやく読み終わる。知らずに買ったのだけど,東大経済学部の教授が書いたアカデミックな本で,読み応えがあった。特に太平洋戦争さなかの状況は,印象に残った。終戦を告げる昭和天皇の玉音放送。あの放送の前夜には、録音版を奪取しようとする軍部のクーデターがあったのだ。結局未遂に終わるのだけど,終戦間際になっても、思想の戦いがあり,その結果として歴史が作られたことがよくわかる。

日中戦争も,太平洋戦争も回避することができた戦争だし、逆に、天皇の思い切った発言がなければ,内地決戦が本当に行われていたかもしれない。政治が混乱し,首相が頻繁に交代する様子は今の状況と似ていて,恐ろしい。下巻も読みたいけど,帰国後にゆっくり読む時間がとれるかな。



イギリスの凍てついた朝。写真をとるぐらい余裕のある朝はいいよなぁ。残り少ないイギリス生活を想うと,ちょっと複雑な気分になってきた。あと1年ぐらい入れると,いいかも・・・とか^^ 

A Pale View of Hills

12月6日(木)

12月に入り冬至も近づいてきて,イギリスは本当に日が短い。日の出が8時ごろで,日の入りは4時前。明るい時間が8時間足らずというのは,やっぱり変な感じがする。朝は何となく目覚めが悪いし,夕方は散歩がしにくいし。仕方ないので,今日はお昼ご飯を食べて,すぐに散歩に出た。それでもすごく寒くて,昨日降った雪は全然溶けずに凍った状態。家から近いパブリック・フットパスにも行ってみたけど,水たまりは凍っていて,氷はかっちかち。乗っても平気だった。



今日は最高気温が3度,最低はマイナス5度。イギリスはそんなに寒くないと聞いていたのに,ちょっと予想外に寒い。この冬は特に寒くなるようで,ちょっと怖いな。

週末はユーロスターでパリに行ってきた。なぜか長女が昔から行きたい,行きたいと言っていたので,ようやく願いを叶えてあげられてよかった。パリは天気がよくて,凱旋門,エッフェル塔,ノートルダム神院と,どれもすばらしい眺めだった。夕食にはベルギー・レストランで,ムール貝を山ほど堪能。ベルギー・ビールもうまかった。やっぱりフランスは食事がおいしい。まあ,イギリスに比べれば,どこもおいしいような気はするんだけど。



Kazuo Ishiguro "A Pale View of Hills"を読了。秋に日本語訳で読んだので,再読になる。考えてみると,英語で最後まで小説を読んだのは,これが初めてかもしれない。先に日本語で読んでいれば,英語でも理解できるし,英語の方が理解しやすい部分もあったかもしれない。前回よりずいぶんおもしろく読むことができた。

この小説,やはり作品としての完成度は高くないのだと思う。ちょっと欲張り過ぎ,というか,いくつかのテーマが絡み合っていて,物語がすっと入ってこない感じがある。でも,その未完成なところ,(村上さん的に言えば)ごつごつした感じが、だんだん魅力的に思えてくる。

一番ぐっとくるのは,主人公Etsukoが人生を振り返って抱く「諦観」のようなものかなと思う。彼女が主体的に生きるために選んだ人生と,その残酷とも言える結末。彼女のやるせない気持ちがじわじわと伝わってくる。女性はどうやって「自分が主体の人生」を生きるのか。自分の生き方と家族との折り合いをどのようにつけるのか。このテーマのもつ深みが,友人Sachikoとの思い出や娘Nikiとの会話を通して,あぶり出されてくるような仕掛け。このテーマが男性である私の心に響くのだから、女性からすればもっと強い印象を受けるだろう。しかも,この話を男性が,しかもデビュー作で書いた,というは驚くべきことだと思う。

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気がつけば,今年も残り少なくなってきた。ということは,イギリス生活も残りが少なくなってきたということだ。ついでに言えば,38歳も残り少なくなってきたし,30代も残り少ない。なんだか区切りばかりを目指して生きているみたいだけど,人生の節目みたいなものは迫っているのかもしれない。

イギリス研究生活

11月21日(水)

朝,6時20分,起床。メールを確認し,日本のニュースサイトに目を通す。7時ごろ,子供たちが起き出し,朝ご飯。今日は,クランペッツというイギリスのパンケーキのようなものを食す。食感はよいが,ビネガーの酸っぱいにおいが鼻につき,はっきりいってうまくない。バターとジャムを両方つけて,なんとかこなす。イギリスのうまいもの探しは9割方失敗に終わっている(唯一の例外はサンデーロースト)。これについては,妻はあきらめモード。

7時45分ごろ,歯磨きと着替えを終えた子供たちが日本のお勉強開始。いつもはベネッセの「チャレンジ」をやるが,今日は次女だけ国語の教科書をやることに。好きな自動車を選んで,その絵を描き,絵の下にその車の「しごと」と「つくり」に関する文章を書く。次女は「アイスクリーム・トラック」を選択。日本語を書く機会が少ないので,なるべく多く書かせるようにする。ノートに下書きした上で,コピー用紙に清書。なかなかの出来で,次女も満足の様子。

8時30分過ぎ,子供たちが登校。妻は学校まで送っていく。私は,軽くストレッチをした後に,PCの前でBBCのサイトをチェックし,英語の勉強。記事を読み,ビデオでヒアリングのトレーニング。今日はボーイング社が,飛行機を作る際に,その部品を運ぶ巨大飛行機のビデオを見る。すごい。BBCはよい仕事をする(最近,不祥事が多いみたいだけど)。30分ぐらい見て,シャワー,歯磨き,ひげそり。時間は9時半過ぎ。

今日は雨が強いし、特に大学に用事もないので自宅で仕事をすることに。10時頃からダイニングの机で仕事開始,と思いきや,来月予定している旅行のホテル予約を急がないと,部屋がなくなりそう,と妻の声。急いでBooking.comで予約。このサイトがあることで,どれぐらい海外旅行が楽になったかわからない。安定していて,便利。すばらしい。ロンドン,キングス・クロスのプレミア・インを2泊予約。その後,仕事開始。渡航前から書く予定だったサプライチェーンの原稿を執筆。ようやく全体の流れが出来て,それなりに進む。

12時,昼食。妻が子供たちのお弁当と一緒につくってくれたハム&チーズと卵のサンドイッチ。妻は食パンにサラダを挟んで食べる。イギリスの外食産業の酷さと日本食のすばらしさについて,の定番の話題。ちなみに,イギリスで一番ひどかった料理は某日本料理チェーン店の味噌ラーメン,とは妻の意見。

13時,仕事再開。原稿の続きを執筆し,その後,日本から持参したロジスティクスの教科書を読む。内容はよいが,日本語訳がひどい。たまに自分の理解力が乏しいのか,訳が悪いのかわからなくなってくる。15時ごろ,メールへの返信作業。日本からは,来年度の授業に関するメールが増えてきた。来年度の授業についても,考えないとな。

15時30分過ぎ,子供たちが帰宅。おやつ&宿題のお手伝い。今日は,長女のトランペットの練習にもつきあう。ずいぶんうまくなった。その後,雨があがったので30分ほど家の周りを散歩。16時過ぎだけど,外は夕焼け。



その後,また少し仕事,というか勉強。マーケティングの教科書を読む。日本にいるとなかなか読む時間ないので,貴重。

17時45分ごろ,仕事を打ち切り,食卓へ。ワインをちびちび飲みながら,夕食を待つ。あては子供用のサラミだが、ワインには合わない。18時過ぎから夕食でオムライス。その後,パソコンの前で30分ほど動画編集ソフトのインストール&動画編集を試みるが、うまくいかない。仕方なく、あきらめる。

19時半からシャワー。その後,寝室で団らん。20時半から読み聞かせ。21時前,子供たちが就寝。その後,読書。A Pale View of Hills がようやく終盤。2回読むと,理解も進むようだ。22時30分,就寝。

かくも穏やかなイギリスの研究生活。贅沢きわまりない。明日は大学に行こうかな。




Workshop in Barcelona


11月9日(金)

ワークショップに参加するため,バルセロナに滞在中。ワークショップは,今日でなんとか終了。その後,S先生と早めに夕食をしまして,くつろいでいるところ。いやはや,疲れました。このワークショップのタイトル,すごく長くて印象深いから,ここに貼り付けておこう。WORKSHOP ON JOURNAL PUBLISHING FOR NON-NATIVE ENGLISH-SPEAKING RESEARCHERS IN OM。

もちろん,自分の英語の論文がジャーナルに投稿するレベルにないことは,よくわかっていた。でも,いざこちらのPh.D.の学生に,ががっと突っ込まれ,コーディネータの先生(すごく有名なロンドンビジネススクールの先生)に,私が院生に指摘するような当たり前のことを指摘されると(なんで,そんな間違いを犯したのだろう・・・),やっぱりかなり落ち込む。僕は,こちらの大学院生と同レベルか,それ以下なんですね・・・悲しいけれど,それが今の現状です。

でも今回で分かったことも多いので,それを活かして,なんとか前に進んでいかなければ。長期的に見れば,すごく価値のあるワークショップだった,ってことになりそう。そうしなければならないな,と思うし。

しかし,こちらの院生の優秀さには舌を巻いた。オーストリア,スペイン,イラン,タイ,スウェーデン,フィンランド,イタリア。どの院生も優秀だし,浮ついたところもない。黙々と目標に向けて歩いている感じ。この人たちがこの後,学会を引っ張っていくんだな~という印象がある。いや,10年,20年後の日本のアカデミアとの差は,もっとひどくなってくるな。それぐらい圧倒的なシステムと条件の差があるのだわ。

それを考えるとJリーグは偉大だ。あれと同じことを経営学でもやらないといけないのだけど,現状では全く想像できない。

でもまずは,自分の研究。しっかりやろう。

遠い山なみの光


10月31日(水)

28日にサマータイムが終わって,夜暗くなる時間が急に早くなった。夕方4時には薄暗くなり始め,5時には真っ暗。今日はハロウィーンだけど,近所の子供たちは真っ暗な中,家々を巡ることになるようだ。わが家の子供たちも,近所の同級生に誘ってもらい,一緒に近所の家を巡ることになっている。興奮気味に,イベントを待っている様子はほほえましい。私は,子供たちの後から様子をうかがいについて行く予定。さて,どうなりますか。

暗く寒い冬を前にして,今月は小旅行を2回。先々週はオックスフォード,先週はコッツウォルズへ。紅葉も町並みも美しく,満足。イギリス製の愛車・ボクスホールも,なんとか無事に動いてくれていて,一安心。あと半年,なんとか故障なく,動いて・・・くれ。




少し前に,カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」を読了。著者のデビュー作で,舞台はイギリスと日本。長崎からイギリスに移り住んだ悦子の現在と過去の回想が中心。イギリスでは長女の自殺という悲劇を背負う悦子が,いつもは離れて暮らす次女ニキと過ごす数日間の話。他方,日本の物語は過去の回想で,悦子と友人・佐知子、そしてその娘・万里子との交流の話。最後に2つのストーリーが重なり合って幕。ただ,この重なりが最初はピント来ず,解説を読んで,ようやく合点した次第。物語には他にもいろいろなエピソードがちりばめられていて,やや焦点がぼけるというか,ちょっとわかりにくいのかなぁ,と思う。

でも,日本人同士の会話がとても日本人らしくて,この本が翻訳ということを忘れるぐらい自然。これは翻訳者がすばらしいことはもちろんだけど,これがどんな英語から翻訳されているのか、という点にも,ちょっと興味が湧いた。

ということで,今、原著 "A Pale View of Hill"を購入して,読んでいるところ。半ばぐらいまで読み進めたけど、原著も翻訳も,今のところ同じ雰囲気。でも,それは当たり前か。これについては,また後日。

今,家にtrick or treatといって,少女たちがやってきた。いよいよ,ハロウィーンだな。

オリガ・モリソヴナの反語法


10月16日(火)

秋が深まってきた。イギリスの木々はいっぺんに色づく訳ではなく,木によってずいぶん紅葉の進捗が違う。気温は毎朝5度を下回る感じだから,葉が色づくには十分だと思うのだけど,そう簡単ではないらしい。とはいえ,秋のイギリスも美しい。まだ晴天の日も多く,そんな日はこころが和む。

大学では,Ph.D.の学生向けの授業に出してもらおうと,ずいぶん前からお願いしているのだけど,これがなかなかうまく進まない。学科の秘書Lyneeさんにメールでお願いしてから1週間,音沙汰無し。その後,再度お願いしてみるも,また1週間音沙汰無し。うむ。今週の頭にもう一度願いすると、ようやく担当の先生からメールが来た。それに返信するも,ここ2日,返事はなし。授業はずいぶん前から始まっているのに,未だ,出席できるかどうかもよくわからない。うむむ。

授業に出られることになれば,正直,プレッシャーがかかるけど,この少し単調すぎる生活に変化があるかもしれない。考えてみればそんなたいしたことではないかもしれないのだけど,心にもやもやを抱えたまま,状況の進展を待つ今日この頃。早くはっきりすればいいのだけれど。

米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」を読了。この本もロンドン三越の日本語書店で,大枚をはたいて買ったもの。イギリスで日本語の本を買うと高いし,頻繁には買えないので,失敗は許されない。さらに,この本を買ったときは,帰りの電車の時間も迫っていて,早急に買う本を決めないといけない状況だった。米原さんの本は,最初に手にとった書評「打ちのめされるようなすごい本」が好印象で,小説でもおそらく失敗はないであろう,と判断して購入。結果,この判断は正解。最近は本選びの失敗が,本当に減ったと思う。

主人公の志摩は,1960年代,チェコ・プラハに住みながら,ソビエトが運営する小学校で学ぶという過去をもっていた。志摩はそこで出会った,老女の舞踏教師,オリガ・モリソヴナに魅了される。相当な高齢だと思われるが,踊りは超一流。褒め言葉で人をけなす独特の「反語法」で子供を鼓舞しながら,学芸会向けの踊りを完璧仕上げる。大人になった志摩は,謎に包まれたオリガ・モリソヴナの過去を探るために,ソビエト崩壊後のモスクワで謎解きの旅を始める。

基本的には,オリガ・モリソヴナに関わる謎解きが中心のフィクションでありながら,スターリン時代のソビエトに関する史実に基づいて話は展開していき,日本の読者にはあまりなじみのない,社会主義の暗部が物語の強烈なバックグラウンドとなっている。オリガ・モリソヴナとその親族・友人たちが,どのような過酷な時代を生きたのか。その史実が,フィクションである小説を通して読者に伝わるという,珍しい構造の本である。私自身も,スターリン時代のソビエトがいかに過酷で,人間の尊厳を痛めつける社会であったか,ということを,初めてこの本に教えてもらった。

エッセイストとしては超一流の彼女も,小説としてはこれが処女作。そういう意味で,同じ謎解きとはいえ,チャンドラーのような完璧な台詞とストーリー展開があるわけではない。キーとなる人物が都合よく現れすぎたり,台詞が説明的になりすぎるなど,文章,あるいは,小説のスタイルとしての完成度は高くないかもしれない。ただ,オリガ・モリソヴナとその関係者のフィクションとしての人生と,ソビエトという大国の史実を巧みに組み合わせ,ノンフィクションのような迫力と,フィクションとしてのおもしろさを両立させたところは,本当に見事。何より,著者の熱が感じられる小説である。アマゾンの読者評価も,すこぶる高い。心を揺さぶる本だからだろうな。

著者は2006年に56歳で逝去。若すぎる。これから20年ぐらい小説家として活躍してくれれば,もっと完成度の高い作品を読ませてくれただろう。合掌。

追記:
これが,このサイトの100本目の投稿になった。足かけ4年。よく続いたな。

作家と翻訳

10月10日(水)

10日の深夜1時過ぎ。うまく寝られず,まだ起きている。こんな文章を書いていると,さらに寝られなくなるなぁ,と思いながら。でもまあ,明日,急いでやることもないし,とも思いながら。結局書くことにする。

あてもなくネットを見ていると,Numberのサイトで文集文庫 秋の100冊フェアのリンクを見つけた。その海外文学の項に(最近は海外の作品ばっかり読んでいるなぁ),グレイス・ペイリー「人生のちょっとした煩い」が紹介されていた。村上春樹訳。だけど,知らない本だ。

さっそくアマゾンのサイトもチェックしてみる。なになに,「「ペイリーさんの小説は、とにかくひとつ残らず自分の手で訳してみたい」と村上氏が語る、アメリカ文学のカリスマにして伝説の女性作家の第一作品集。」 そんな文章を読んだら,読みたくなるじゃないか。でも,現在,日本語の新しい本を手に入れるためには,けっこうなコストがかかる。ページ数は303。そんなに大部ではないし,すぐ読めてしまいそう。う~む,残念ながら,日本に帰ってからにするか・・。

でも,村上さんの翻訳書は,文学作品としての質も,翻訳の質も高水準なことがわかっているので,いつか必ず手に取ることになると思う。ポイントは,すぐれた作家が翻訳もやっているという点。あたりまえだけど作家が本業なので,翻訳された日本語がすばらしく,読んでいて安心感がある。他の翻訳家の中には,英語の知識はあるんだろうけど,日本語が下手,という人がたまにいる。おそらく日本語をあまり読んでいないんだろうな,と思わせるような翻訳は,やっぱり読んでいてストレスになる。その意味で,村上さんの翻訳は貴重だし,こういう翻訳書を読めることの幸せを感じるべきだな,と最近思うようになった。それに村上さんの作品解説も,いつもすばらしいし。

それはそうと,村上さんの翻訳書,次から次へと出ているなぁ。アマゾンでちょっとチェックしただけでも,未読の本が多数。同じくグレイス・ペイリー「最後の瞬間のすごく大きな変化」カポーティ「誕生日の子供たち」ティム・オブライアン「世界のすべての7月」。あいかわらず,すごい仕事量。まねしたいけど・・・無理なんだよな^^

そういえば,ノーベル文学賞の発表も近づいてきた。とるかな,今年は。

所有せざる人々

9月30日(日)

9月も今日で終わりで,在外もちょうど折り返し地点に到達した。最初の苦労を考えれば,とても穏やかな生活が送れているような気がする今日この頃。体調もよい。この10年ほどで積もり積もった疲れがとれてきたのかな。ゆっくり仕事ができるので,量をこなしても,それほどストレスがたまらない。このブログには疲れた・・と書くことが多いので,そうではないときの記録も残しておかないとな^^

ル・グィン「所有せざる人々」を読了。これまたK先生にはるばるスイスまで持ってきてもらって,受け取った本。プライベートの本をもってきてもらうのはやや気が引けたんだけど,時間のある在外中にゆっくり本を読みたい,という気持ちも押さえきれず,一冊だけお願いした。でもそれだけの価値がある本だった。K先生,本当にありがとうございました。

舞台は,架空の惑星,アナレスとウラス。アナレスは,オドー主義というアナーキズム思想をもつ人々がウラスから亡命して住む惑星。主人公のシェヴェックは,時間の同時性理論を構築しようとするアナレスの物理学者で,自身の物理学を発展させようと,100年以上交流の途絶えたウラスに1人で向かうことになる。資本主義や社会主義の国々が争い,貧富の差が大きいウラスで,シェヴェックは徐々にオドー主義とは異なる世界のありようと,自分がなぜウラスに呼ばれたのを理解し,ついに行動をおこす・・・。

500頁を超える大書で,多様な要素が絡み合い,短くこの本の内容をまとめるのは相当に難しい。シェヴェックの若きころからウラスに向かうまでの章と,ウラスに来てからの章が交互に語られ,2つの惑星の様子が読者に徐々に理解されるようになる。また,オドー主義というアナーキズム思想,そして資本主義,社会主義を巡る世界観が,物語のバックグラウンドとして自然に展開されている。さらに,時間の同時性理論,という,これまた興味深い物理学の理論が、シェヴェックの口から説明され,それもなんとく理解できるな・・という感じで、しっくりと物語と調和している。

本書を読んでいてまず驚かされるのは,このような多様な世界観を,1つにまとめ上げ,読者を違和感なく物語の世界へ引き込んでいくことだ。小説を書く能力だけでなく,思想や科学への知識が著者の中に定着していないと,これだけ複雑な構成の物語を,これだけ自然に描ききることはできないはずだ。ル・グィンといえば,「ゲド戦記」が有名だし、私もそれしか読んだことがなかったけど,この本を読むとゲド戦記はやっぱり子供向けの物語だ・・・と思ってしまう。もちろんゲド戦記だって,特別な物語だと思うんだけど。

それと,最後の解説を読んで分かったこと。著者が,どのようにして,このような壮大にして,複雑な物語を描くことになったのか。それは,「人を表現するため」であったという。

「ル・グィンは,小説を書くというのは,バージニア・ウルフにとってちょうどミセス・ブラウンがそうだったのと同じように、電車の向かい側の席の隅にすわっている老婦人から始まるのだという。それはまた,作者の心の中に現れて,”さあ,わたしは誰だと思います,つかまえられるならつかまえてごらん!”そう挑発する魅力的な人物を捉えようとする行為なのだと。言いかえれば,あらゆる小説は人物を描くものであり,教条を説くためでも歌をうたうためでもないと述べているのだ。」(解説,p.568)

つまり,この本の壮大な世界観と数々の仕掛けは,ひとえに「シェヴェック」という主人公を描くための手段である,ということだ。舞台設定のおもしろさや思想を描くため,という理由でこの物語を書けば,おそらく焦点のぼやけた,仕掛けのわざとらしさだけが目立つ,困った小説になってしまうだろう。シェヴェックというきわめて興味深い,また,物語を有効に立ち上げうる魅力的な人物を描く,という目的がぶれないからこそ,この政治と科学をひっくるめたような舞台設定ができあがったのだろう。う~ん,深い。

しかし,この解説はいい。著者名がなくH.K.のイニシャルのみ。物語を引き立てる解説というのはそれほど多くないけど,この解説はよかった。誰なんだろう・・・?

ついでみたいなったけど,磯淵猛「金の芽 インド紅茶紀行」も読了。ミルトン・キーンズの図書館の、ごくわずかな日本語の本の中から,妻が偶然借りてきたもの。紅茶には全く興味がなかったけど,アッサムとセイロンという紅茶の産地の背後に,こんな物語があったとは。すごく勉強になった。

明日から10月。後半は,少し研究的な挑戦もしてみようと思う。さて、果たしてどうなりますか・・・。





ロング・グッドバイ 再読

9月16日(日)

金曜日,家に帰ると次女が熱を出して寝ていた。というわけで,週末は家でだらだらと過ごす。幸い,次女の症状はたいしたことがなくて,すぐに熱も下がり,今は1階でレゴで遊んでいる。明日は小学校に行けるかな。

9月に入ってクランフィールド大学の修士課程が終わりを迎え,知り合いになった学生たちが一斉に大学を去って行った。多くは日本人だけど,外国人もちらほら。私の乏しい人間関係でも,少しは友達ができたのだけど,彼らが去って行って,少し寂しい。日も短くなってきて,なんだか弱気な私がそろりそろりと幅をきかせてきそうな感じ。そんな中,最近は,J先生にお茶や食事に誘ってもらい,とてもありがたい。私の適当な英語でも理解してくれるし,会話のトレーニングにもなる。何かおかえしができるといいのだけれど。

最近の出来事。日本人の学生たちと家でさよならパーティー。ここぞ,とばかりの快晴で,庭で楽しく食事をすることができた。でも,久しぶりで調子にのって飲み過ぎ,1つ2つ失敗をしでかす。妻に一生言われるレベルの失敗をしでかすとは・・・不覚。家の車をMOTという法定点検に出す。たった40分で終了,パス,と言われて,ぐっと親指を立てられる。よかった・・・とは全く思うことのできない,至極簡単な検査。なんとなく不安なので,日本人運営の修理工場に詳しい検査に出すことにした。一路,ロンドンまで妻とドライブ。2時間半ほどで,無事点検完了。大きな問題はなし。でも,修理を依頼していた左のミラーが割れたまま。新しいものに付け替える際に,また割ったのだとか。日本人経営でも,なんだかイギリス的な話でちょっとおもしろい。昨日は,またまたロンドンに行き,病院で定期検診。特に異常なしだけど,耳の中がかゆいので,かゆみ止めの薬をもらってきた。途中ロンドン三越の書店で,カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」をさんざん迷ったあげく購入。この書店,よくよく調べてみると,価格は日本の倍以上。ちなみに,この本は定価700円で,13ポンド。う~ん,高い。心して読まないと。

チャンドラー「ロング・グッドバイ」,を再読。最近,同じ本を2度読むのは珍しいのだけど,これは以前から再読を決意していたので,日本から文庫を持参してきた。以前に読んだときの感想がこれ(2009年7月)。そのときよりは,すっと物語の中に入っていけた気がする。

今回印象に残ったのは,お金持ちのリンダがマーロウに結婚を迫るシーン。マーロウ42歳,リンダ34歳。大人の心理の描き方が秀逸で,2人の気持ちが行間ににじむ感じ。それと,もう一つの読みどころは,違いなく村上氏の解説。チャンドラーという作家がマーロウという主人公を活躍させる作品群の中で,何をしたのか。この解説は,チャンドラーという作家の革新性が,素人にでも分かる形で提示されている。これを読めば,私にも小説が書けるのではないか,と思わせるほどに・・・というのは,嘘だけど,作家にしか書けない,優れた解説である。

明日から9月も後半。そろそろ研究のペースを上げないと,な。在外も残り半年。しっかりやらなくては。


社会科学のリサーチ・デザイン つづき


9月10日(月)

キング他「社会科学のリサーチ・デザイン」の後半を読了。ようやく全体像がつかめた。

本書の因果的効果の推論についてキーポイントになるのは,因果的効果の推論が、本書の中に示される「因果的効果の定義」に基づいて厳密に捉えられており,この定義に基づかない推論は一切みとめない,という点にあると思う。

「因果的効果とは,説明変数がある値をとるときに得られる観察の体系的な要素と説明変数が別の値をとるときに得られる観察の体系的な要素との差である」(p.97)

一般的な実験計画法と同じように,この定義に従えば,鍵となる説明変数に差があり,それ以外の条件が全く同一の2つの事例(観察)の比較をおこなうことで,説明変数の従属変数に対する因果的効果が推論できる(そして,その比較を厳密にするために,様々な点が考慮されなければならない。例えば,バイアスを避け,有効性を高め,内生性の問題を回避することである)。これらの議論の背後にあるのは統計学の論理であり、私たちがサーベイ調査をおこなう際に配慮する点を,いかにケース・スタディでも配慮するのか,が説かれている,といってもよいと思う。つまり,観察の数(n数)は多い方がよいし,多重共線性に注意し,鍵となる説明変数以外で従属変数に影響を与える変数を統制しなければならない。特に、バイアスを避けるための事例(観察)の選択の仕方は厳密で、参考になる点が多いと思う(経営学では、この点はやや議論が弱い気がする)。

しかし,少なくとも私の知るケース・スタディでは,1つの事例からの(つまり,比較なしの)因果的効果の推論を認める方法論が多いように思う。少なくとも,Yinの方法論は単独の事例から推論される因果メカニズム(因果効果の連鎖)を推論する方法を提示しているし,田村(2006)にも紹介されている「過程追跡」の手法は,それを正面から議論している。このような単独事例の因果推論を認めるかどうかが,私たちの知る一般的な経営学のケース・スタディの考え方と決定的に異なる点だと思う。

個人的には,この本で示されるスタイルも,ケース・スタディの1つのあり方だし,強い説得力があるなと思う一方で,かなり極端な議論だな, とも思う。この本の示す方法によると,ケース・スタディは,定量的な方法が何らかの理由でなじまない(例えば、n数が少ない,あるいは,サーベイ調査になじまない)調査対象に適用される方法,ということになる。さらに,個々の事例から因果的あるいは,記述的推論以外の成果は期待できない,ということにもなる。個人的には,それではケース・スタディがもっている手法としての特徴がとらえきれていないのではないか,と思うのだが・・・。例えば,構成概念の探索,あるいは,仮説の構築・・・。

ただもう少し勉強を続けないと,この辺の結論は出てこないかな。続けて読むとすれば、この本だけど、どうやって手に入れるか・・・。仕方ないので、英語で読むか。いずれにしても、よい勉強になった。

社会科学のリサーチ・デザイン

9月6日(木)

昨日から子供たちの小学校が新学期となった。朝ご飯が終わると,子供たちが「何しようか~」とごそごそ動き出すくつろいだ感じもいいけれど,少しバタバタしながらも,規則的に物事が流れていく日常も,それはそれで気持ちのよいものである。私の生活も,少し研究よりにシフトできそうな感じがする。

ここ数日は,研究室でキング他「社会科学のリサーチ・デザイン」を読み続けている(K先生,遠くまで本をもってきてくれて,ありがとうございました)。政治学の方法論の教科書だけど,目を見開かされるような指摘が多く,この種の本としては珍しくページをめくるスピードが速い。こんな重要な翻訳書をいままで読んでいなかったのは,私の怠慢で恥ずべきところだけれども,これを反映したような日本語の論文も,目にしないような気がする。皆,どのようにとりいれればいいのか,逡巡しているのか。あるいは,すでに考えを取り入れた論文も存在するのか・・・?

この半年で学んだケース・スタディに関する知見を,個人的なメモとしてワーキングペーパーにまとめようと思っていたのだけど,この本の出現でもう少し時間がかかりそうだ。でも,因果的推論や研究そのものに関する理解は,確実に深まった気がする。

*****

せっかくなので,ここまで読んだ3章まで(全体の約半分)の内容で,インパクトのあった点を整理してみようと思う。大きく2つの点。第1は,この本がこれまでに読んできた方法論の観点を俯瞰し,体系的に整理してくれているということ。特に,因果関係の基本的な定義と比較研究の関係を論じる流れは,個人的にかなり有益であった。要するに,比較研究とは,因果的効果を推定する際に発生する根本的な問題を回避する方法としてあり,ほぼ同じと見なすことができる(単位同一性を満たした)対象における原因変数の違いから,因果効果を推測する方法,ということになるだろうか(自分だけに分かる書き方となっています。すいません)。

第2に,このような体系的な整理が,最終的に統計的な考え方を使って整理されており,そのこと自体が,定量的な研究と定性的な研究が,本質的には異なるものではないということを物語っていること。もちろん,この種の考え方に対して異論は存在するのだろうけど(全く異なる特徴をもっていて,しかも偉大な貢献をした事例研究も多く存在する),それでも,ここに提示された方法が1つの考え方として強い説得力を持っているのは間違いないと思う。

しかし,政治学と経営学,学問が異なるだけで,ずいぶん議論のレベルが違うな,という感がある。いずれにしても,この半年が無駄にならないように,私個人の研究に活かさなければ。

日はまた昇る

8月10日(金)

ここ数日はいい天気が続いている。朝起きると今日も天気がよかったので,急遽,車で1時間ほどのBicesterというところのアウトレット・パークにドライブ。何かを買うつもりはなかったのだけど,ポロ・ラルフローレンで,珍しく私に合うサイズの黒のセーターを発見し,購入。妻と子供はCath Kidstonでエプロンと小さなバッグを入手。たっぷりサイズのジェラードも食べられて,皆ご満悦。




お盆前といえば,日本は一番暑い時期なのに,こちらは5月のようにさわやか。穏やかなイギリスの夏休み。このブログを書き終わったら,今日も庭でビールを飲もう^^

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ヘミングウェイ「日はまた昇る」を読了。先日,ロンドン三越の日本人向け書店で購入したもの。品揃えとしては商店街の小さな本屋,という感じだけど,久しぶりに日本語の本をいっぱいみたら,少し興奮してしまって,3冊も買ってしまった。値段が日本の倍ぐらいするのを知ったのは,会計時で後の祭り・・・。まあ,高いのは仕方ないけどね。

私にとっては初めてのヘミングウェイ。すごくおもしろく読める。最初は,昼間からお酒を飲みまくって,遊び回る若者の描写が続いて,なんだかな~と思っていたけど,話の舞台が闘牛祭りの開催されるスペイン・パンプローナ話に移ってから,俄然読ませるようなってくる。ストーリーとしては,1人のイノセントな女性を巡る男性陣のバタバタを描いた単純な恋愛もの?だけど,闘牛のお祭り(フィエスタ)の最中,という舞台設定と,1人1人の人物が背負うバックグランドが,物語に独特の雰囲気と緊張感を与えている。特に主人公が戦争の疵で性的な関係が持てない,という設定は,ブレンダとの関係になんとも言えない距離感をつくりだす。祭りが終わった後に,マドリードに移るラストシーンはすごくいい。その後の小説に大きな影響を与えた,というのもよく分かる話である。

しかしこの話,ほとんど同じことがパンプローナで起こったらしい。実際にあった話だからこそ,描写が鮮明になるのだろうけど,書く方はには相当な勇気がいるわね。周りの人も,本当に迷惑しただろうし(最後に作者と重なる主人公がいい目を見る,というのもちょっと・・・)。それぐらいしないと名作は書けない,のかな。

銃・病原菌・鉄

7月24日(火)


ジャレド・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」を読了。こんなすごい本をゆっくり読めて幸せ。

本書の問題意識は,次のような形で明確に示される。「現代世界における各社会間の不均衡についての疑問。世界の富や権力は,なぜ現在あるような形で分配されてしまったのか?なぜほかの形で分配されなかったのか?たとえば,南北アメリカ大陸の先住民,アフリカの人々,そしてオーストラリア大陸のアボリジニが,ヨーロッパ系やアジア系の人びとを殺戮したり,征服したり,絶滅させるようなことが,なぜ起こらなかったのだろうか」。そして,その答えは簡潔に述べると次のようになるという。「それは,人びとのおかれた環境の差違によるものであって,人々の生物学的な差違によるものではない」。難しい問題にも関わらず,論旨は明快。難しい問いへの解答が,簡単な論理の積み重ねで説明されている。謎解きはかくあるべし,だよなぁ。

この本は米国の「ピュリッツァー賞」,日本の「コスモス国際賞」を受賞し,さらに朝日新聞の「ゼロ年代の50冊」のベスト1に選ばれている。著者のジャレド・ダイヤモンド氏は,カリフォルニア大学ロサンゼルス校の医学部教授のようであるが,肩書きは,生理学者,進化生物学者,生物地理学者となっている。実際,この本では,考古学等のいわゆる歴史科学(本書にならって,そのように記述する)の知識だけでなく,植物に関する遺伝子学,分子生物学,生物地理学,動物(家畜)に関する行動生態学,病原菌に関連する分子生物学,疫学,さらに言語学,文化人類学,等々といった多くの学際的な研究成果を統合する形で,論が進められている。この博学,広い分野の研究業績を理解し,統合し,明確な結論を導く著者の力量は,驚嘆の域を超えている。こんな仕事ができる人がいること自体が信じられない。

この本の特徴は,上記のような歴史科学に関する問いを,明快な因果関係の連鎖として説明していることである。上巻p.153ページには,本書の問いに関する因果関係を示した図が存在し,鳥瞰図の役割を果たしている。歴史科学という分野の中で,このように因果関係を明確に特定している業績がある,というだけで,私としては勇気づけられるし,読んでいてうれしかった。もちろん,読み物としても,謎解きの要素があり,スリリングでおもしろい。

一般的な読者を想定して書かれた本なので,個々の因果推論については,論文に掲載されるように厳密な訳ではない。専門の人が読んだら,それはどうか,と思うような推論もあるのだろうな,とは思う。ただ,その分野で一流と呼ばれる人たちというのは,このような「大きな問い」に対する答えを提示できる限られた人たちであるのだから,厳密さを少し犠牲にしてでも,このような大きな問いへの答えを一般の人も理解できる形で提示すべきだ,と考えていたのだろう。その姿勢にも感服する。

本書の最後に,歴史科学の方法論の記述があった。自分にとっても勉強になる部分だったので,要旨を以下にまとめておく。

科学としての人類史(Jared Diamond,1997,訳,下巻,pp.395-404,抜粋)

歴史から一般則を導き出すのは,惑星の軌道から一般則を導き出すことよりも難しい,ということは否定できない。しかし,難しいけれども絶対に不可能とは思えない。

歴史科学に属する学問は,物理学,科学,分子生物学などの自然科学と一線を画す特徴を多く共有している。これらの共通点のうち,おもだったものは,方法論原因・結果の因果律による説明予測性複雑性の4つであると私は思う。

過去にあった事物を研究の対象とする歴史科学では,実験を通じてではなく,観察や比較を通じてデータを収集しなければならない。いわゆる大自然の実験を通じて研究しなければならないのだ。

歴史科学は,直接的な要因と究極の要因の間にある因果関係を研究対象とする学問である。物理学や化学では,「究極の要因とか,目的とか,作用」といった概念が意味を持つことはない。しかしこれらは,一般的な生物系を理解する上で,特に人間の活動を理解する上で不可欠な概念である。

歴史科学と非歴史科学は予測性においても異なる。化学や物理学では,予測性のあるなしを現象解明の判断基準にしている。そして,進化生物学や歴史学はこの判定基準い合格しないように見える。(中略)歴史科学では,結果からさかのぼる説明は可能であっても,先験的な説明は難しい。

予測を立てようとする試みを複雑にしているのは,歴史というものが持っている特性である。(中略)人間社会や恐竜の生態系は非常に複雑であり,そこには様々な要因がかかわっている。しかもそれらの要因は相互にフィードバックし合っている。その結果,低レベルにおけるわずかな差違が,高レベルのける創発的な変化につながってしまうこともある。

氷河,星雲,ハリケーン,人間社会,生物種,有性生殖種の個体や細胞の1つひとつはすべてユニークな(唯一無二の)存在である。どれもが様々な要素によって成り立っており,様々な要素の影響かにあるからである。(中略)物理学者や化学者は,巨視的なレベルで普遍的な法則を引き出すことができる。しかし,生物学者や歴史学者は,統計的な傾向しか引き出せない。

歴史は,究極的には決定論的であるが,その複雑性と予測不可能性は因果の連鎖があまりにも長すぎることで説明できるかもしれない。

歴史学者が人間社会の歴史の変遷のなかから因果関係を引き出すのは困難だといえる。程度の差こそあれ,これらは実験的に操作して再現試験をおこなうことのできない分野であり,構成要素が非常に多岐にわたる複雑な分野である。どのような創発的属性が登場するかや,将来何が起こるかを予測するのが難しい分野でもある。しかし,歴史の研究においても,短い時間の小規模な出来事が何百万回も起こった結果,もたらされる独特な特徴が均一化するような長い時間的尺度や空間的尺度の中での予測は十分可能である。これは他の歴史科学においても同じである。

研究手法として有用なのは,データを比較検討する方法であり,大自然の実験から学ぶ方法である。(中略)原因因子をもっていると推定される要因を持っているものと,持っていないものを比較検討することはできる(あるいは,原因因子とすいてされる要因の栄光が強いものと弱いものを比較検討することはできる)。

大自然の実験から学ぶ手法は,もともと方法論的な批判と無縁なものではない。(中略)方法論上のこうした問題のいくつかは,ある種の歴史科学ではすでに詳細に議論されている。(中略)疫学者は,人間社会を研究する歴史学者が直面する同じ問題にどう対処すべきかを形式かしており,その手順をずいぶ以前からうまく用いている。

地頭

7月18日(水)


「地頭がよい」という言い方は,正式な日本語ではないのだろうけど,おおよその意味は通じるのではないかと思う。努力して頭がよくなったのではなくて,もともとの頭がよい,という意味。小中学校の頃に,ほとんど努力しないにもかかわらず,すごく成績のよい人がいたし,苦もなく東大や京大に入ってしまう人もいる。研究者の世界でいうと,私たちが努力しても全く歯が立たない,あるいは,最初からお手上げで,努力さえ断念してしまような問題を華麗に解いてしまう人たちである。天才,というと,ちょっと大げさすぎるのだけど,言葉の意味としては近いのかもしれない。こういうに出会うと,「ああ,この人とは生きている世界が違うなぁ」と感じることになる。

私のいる経営学の分野にも,地頭がよいなぁと感じる先生方が何人かいる。でも,経営学(だけじゃないかもしれないけど)という分野は,少なくとも日本においては,地頭がよくなくても,一応この職業を続けることができるし,努力さえ怠らなければ,そこそこ学会でも活躍できるのではないか,というの私の持論だ。経営学の場合,もちろん,数学や統計学,論理的な説明の理解など,頭の良さが問われる側面はある。でも例えば,インタビュー調査や共同研究を進める上ではコミュ二ケーション能力を問われるし,現実に起こっている多様な経営現象を理解するためには,学問的な知識だけでなく,継続的に社会的な情報を収集しなくてはならない(いくら頭がよくても,初めて行く異国の社会状況は1日では理解できない)。つまり,頭の良さ以外の要素が研究者の能力の結構な部分を占めることになるので,地頭がよくなくても一応経営学者としてご飯を食べていくことができる,ということである。他の分野のことはあまりわからないけど,経済学ではたぶんこうはいかない,と思う。

しかし,イギリスに来て,あるいは,海外の学会に参加するようになって感じるのは,世界のトップは,地頭のよい人たちが,その他必要な能力も携えながら,しかも努力し続けているんだなぁ,ということである。トップジャーナルには,地頭のよさそうな人が,それこそ何年もかかるような地道な調査から結論を引き出している研究が多い。また,学会ですごく的確な質問をするなぁ,と思って,年齢を聞いてみると,私よりずいぶん年下だったりする。はぁ・・とため息しか出ない。

正直,日本ではこういうことを感じることは少ない。地頭タイプではなくて,その他能力タイプが圧倒的に多い。このことは今まではあまり気にならなかったのだけど,最近は,本当に地頭のよい人たちが日本の経営学の世界にはいってきていないからではないか,と思うようになった。昔からそうなのかもしれないし,地頭のよい人の割合が多くないのは当たり前だともいえる。でも,今後,日本の経営学が世界の中で少しでも存在感を高めようと思えば,地頭がよくて,なおかつ,経営学に必要な能力を備えている人たちをもっと呼び込まないといけないはずだ。

そのためには,研究者,大学の先生という職業の魅力を今よりも高めないといけない。報酬と労働環境を改善しないといけないのはもちろんだけど,社会とのつながりをもっと強くして,その能力がきちんと社会に貢献することを示し,社会からリスペクトされる存在にならないといけないのではないか。でも日本の大学を取り巻く状況は,どちらかというと逆の方向に動いている。特に労働環境(仕事量の多さ)は悪化の一途をたどっている。日本の経営学の将来は暗い・・・という結論しか出てこない。

ちなみに,当たり前だけど,世界にもその他能力タイプの人たちはいる。発表時間20分,といわれているのに10分で終えて,厳しい質問が出ても適当にしか答えない。ようやく終わって,落ち込んでいるのかと思ったら,共同研究者と笑顔で握手している。有名な学会で報告する,ということが主たる目標なのだろう。だから日本だけが特殊な訳ではないとは思うのだけど,それでももっと地頭のよい人よカモン・・・と思わずにはいられないのです。

ティファニーで朝食を


7月11日(水)

先月は今月初旬のアムステルダムの学会に向けて,発表のパワーポイントをつくって,その英文をチェックしてもらい,その後発表の練習,というスケジュール。共同研究者のS先生と頻繁に連絡を取りながら,最終調整。本番の学会では,チェアにも当たっていたのだけれど,そこで結構なミスを犯し,かなりへこむ。研究発表は無難におこなったのものの,日本でもいつも厳しい指摘をしてくれるM先生から,やはり厳しい質問を受けて,しばし沈黙。しどろもどろの英語でしのげたのが,せめてもの救いか。最終日,最終セッションの最後の発表,ということで,アムステルダムの視察はほとんどできず。いずれまたいくことがあるだろうか?写真はアムステルダム中央駅の夜景。きれいに撮れた。




というわけで,今はちょっと息抜き,という感じでぼちぼち暮らしている。6月はなんとなく体調も優れなくて,フラストレーションがたまったこともあるし,今は積年の疲れをとりたいなぁ,と思っている。イギリス生活にもまあ慣れてきたし,無理しない生活もたまにはいいのではないか・・・,と。

ちょっとだけ読書メモ。

カポーティ「ティファニーで朝食を」
文章がきれい。まずはそれが印象に残る。ストーリーは「気ままな女性に振り回される男性もの」の原点,とも言うべき内容。「東京ラブストーリー」も「猟奇的な彼女」(見てないけど)も,ここに源流があるのかなあ。「イノセンス」という概念も,この小説を通して読むとすすっと理解できる。その他の短編も,すごくよい。完成度の高い中・短編集。

青木幸弘「消費者行動の知識」
消費者行動の本をゆっくりと読むのはいつ以来なんだろう・・・。すごくわかりやすい消費者行動論の入門書。良書。せっかく時間があるから,もう一度勉強しておこう。もう一生のうちに消費者行動論を勉強するときもないかもしれないしな。

今は「銃・病原菌・鉄」の下巻を読んでいる。これもすごい本だ。

わたしが孤児だったころ


6月2日(土)

こちらに来て、すごく時間に余裕があるのだけれど、思いのほかプライベートの読書がはかどらない。現在は、家族と同じ寝室で寝ており、最初は子供たちが寝た後に読書をする読書灯がなかった。そのまま子供たちと一緒に9時ごろ寝てしまうという状況。読書灯がないからね、などと言い訳しながら、超早寝の生活。その後、読書灯を購入して、子供たちが寝るまで待っていようとするのだけど、それでも、私の方が先に寝てしまうという・・・。最近でも普通に10時間ぐらい寝てることが結構ある。なんだか体の調子がおかしくなるぐらい。もともと寝るのは好きななんだけど、それでも寝過ぎだ・・・。

そんな睡眠生活の合間を縫って、ようやく1冊読了。カズオ・イシグロ「わたしたちが孤児だったころ」。私にとっては3冊目のカズオ・イシグロ。時代は戦前。上海生まれのイギリス人、クリストファーは、上海での幼少時代に両親が失踪し、孤児となる。その後、イギリスに戻り、有名な探偵となったクリストファーは、自分の名声が高まるとともに、満を持して戦時中の上海に両親の捜索に向かう。

イシグロの小説としては、割とテンポ良く、読みやすい滑り出し。イギリスでの生活と上海での幼少生活の記憶が、後におこなわれる上海での両親探しの伏線となっていく。戦争の中、クリストファーが両親を捜索し、最後に失踪の真相が明らかになるくだりは、冒険譚という感じで、勢いがある。でも、20年も前に失踪した両親が、今も当時と同じ部屋に幽閉されていると信じて、頑なにその部屋を探そうとするクリストファーをどう理解すればいいのか、が気になって仕方がない。何か小説上の効果を狙っているということなのだろうと思うけど、どうなんだろう??また、昔の親友アキラに出会う場面も、わざと不自然さを演出しているのだろうか、というほどの偶然すぎる展開。違和感のある設定が読者に及ぼす効果を考えながら書いている、ということなのだろうか?? 面白く読めるんだけど、何となく不思議な印象が残る小説ではある。

この週末、イギリスはエリザベス女王の在位60周年を祝うDiamond Jubilee Weekendである。ロンドンはさぞかしにぎわっているのだろうけど、テレビもない我が家は完全に取り残され、単なる週末になっている。明日は買い物にでも行くか。

コベントリー


5月29日(火)

週末は,コベントリーという街へドライブ。最初は景色を楽しみながら下道で行こうと思っていたのだけど,道が細くて,結構時間がかかる。やっぱり高速道路で行こうか,ということで,高速入口に向かう。入り口手前の橋の前で一時停止していると,前の車が急にバックしてきて,コツン。やばい!一瞬,英語での交渉と事故処理の悪夢が頭をよぎる。

幸い双方の車にはなんの損傷もなく,そのまま分かれることに。"Lovely~"といって去って行った兄ちゃん。何がLovelyだ。ちなみに,こっちの人は何かというと"Lovely"。子供たちはしばらく"Lovely~"と言い合って,喜んでいた。

というわけで,トラブルを乗り越えつつ,ようやくコベントリーに到着。第2次世界大戦中にひどい空爆を受けたということで,古い建物は少なく,街の中心部は近代的なショッピングセンターになっている。ケンブリッジもそうだったのだけど,街の中心に再開発されたショッピングセンターが結構ある。どうやって整備したのか。効率的なやり方があるのだろうか。まとまった書物があるといいけど。



街のランドマーク,カセドラルも戦争の影響なのか,煤でやや黒い。が,とても美しい。また,平和を願うモニュメントにも心を打たれた。広島に同じものが寄贈されているらしく,日本語の説明もあった。




その後,無料の交通博物館もちょっと見学。日帰り旅行にはちょうどよい街で,満足して帰途に着く。

実は,この街で行われるオリンピック・男子サッカーのチケットを手に入れることができた。8月1日,日本対ホンジュラス。下見はばっちり。初の五輪観戦ツアーin UK。さて,どうなるかなぁ。

イギリス生活トラブルリスト

5月23日(水)

ずっと寒い日が続いていたのに、昨日から急に暖かく、ではなくて、暑くなった。今日の最高気温は26度。子供たちは急遽、半袖の制服を買いに行って、涼しげに。私も、長袖をやめて、七分袖のシャツを着た。家の前は、タンポポの綿毛で白くなっている。これだけ多いのは、初めて見るな。



5月に入って生活の立ち上げ作業は一段落したのだけれど、その後もいろいろなことがあった。最初に起こったのは、車のパンク。大学で釘を踏んだらしく、知らずに家まで戻ると、タイヤがへこみ始めている。時間は夕方5時前。急いでガレージのおっちゃんに電話で助けをもとめたけど、修理店の兄ちゃんが来てくれるまで電話で四苦八苦。無事パンクは直ったものの、その後の処理を説明してくれた電話がよく理解できず。家で待っていても何の連絡もない。3日後に修理工場に行ってみたら、修理済みのタイヤがあり、そこで支払いもできた。よく理解できなかった電話は、店に来いって言っていたんだなぁ。

ほっと一息、と思ったら、今後は次女が発熱。しかし風邪の症状はなく、なんだか奇妙。運悪く連休のど真ん中だったので、日本から持参の抗生物質を飲ませることに。4日後、無事に熱はさがったものの、続いて膀胱炎らしき症状が現れ、次女は頻繁にトイレに行く。仕方なく、初のGP(簡易診察所みたいなところ)へ。朝、症状を紙に書いた上で、予約を取りに行くと、3時過ぎに来てくれ、とのこと。時間になって次女と共にGPへ赴くと、30分ほど待って、診察。先週、風邪で抗生物質を飲ませた、というと「何のための抗生物質なのか」としつこく聞かれる。風邪用だ、という言うと、理解できない、という感じで首を振る女医。日本では普通なんです、抗生物質。診察の結果、症状は特にひどくないので、痛み止めを飲んでおけ、とのことで、治療のための薬はもらえなかった。日本では膀胱炎だと、すぐに抗菌薬?をくれるらしいんだけど・・・。でも次女は無事回復。よかった。

やれやれ、と思っていたら、次はなんだか家のヒーティングシステムがおかしい。温風は出るのだけれど、スイッチを切っても、暖かくない風の送風が止まらない。日によっては、一日中止まらない。仕方ないので、不動産屋に相談。夕方、様子を見に来てくれて、「確かにおかしいから、エンジニアを呼んでやる。明日は家にいるか」、とのこと。おー、明日来てくれるの?こちらは暇だから、家にいるで、と答える。しかし、翌日、待てど暮らせど、エンジニアからの連絡はなし。やはりね。

翌日は、大家から依頼された別のエンジニアが、備え付けの洗濯機と冷蔵庫のチェックに来るという。エンジニアは時間通りに来たものの、洗濯機を動かす際に横の壁を破壊。なんで・・・。怖いので、写真をとって、またまた不動産屋に駆け込む。すでにエンジニアから連絡があったようで、ノープロブレムだという。はぁ。ヒーティングのエンジニアについては、今調整中だから、とのこと。そう言っている担当の若いお姉ちゃんが怪しいんだよな。しっかり仕事してんのか?

その後の2日間も連絡はなく、ゴーゴー言いっ放しのヒーティングとともに週末を過ごす。結局、エンジニアが来たのは今日。1週間かかりました。さて、うまくヒーティングが直っているといいのだけれど・・・。

というわけで、いろいろありますなぁ。英語での交渉だけは、だんだんましになってきてるかもしれないけど。

しかし、こうやってかくと、なんだか苦労ばかりしているみたいだけど、おおむね生活の方は平穏無事。夕方のビールで小さな幸せを感じる日々が続く。ビールがうまい季節だ。

LONDON PRIDE

5月12日(土)

今日は土曜日だけど、午前中は論文執筆。学会報告用のプロシーディングペーパーは、来週の金曜日が締め切り。英文校正をしてもらうことを考えると、なんとか今日中には仕上げて、原稿を淳子さんに送る必要があった。久しぶりに6時に起きて朝食まで執筆。子供の勉強につきあった後、また2時間ほど執筆して、お昼前にようやく第1稿が完成。爽快感はないけど、まあなんとか英文で書き上げた。ちょっと一息つける感じ。

こちらに来る前に頭にあった研究面での目標は、英文での論文執筆能力を向上させる、という漠然としたもの。なんとかここ数年の間に、それなりのジャーナルに論文を載せたい。だだ、こちらに来る前は、何がキーポイントなのかは、よくわかっていなかった。勉強する時間はあるから、英文の論文をひたすら読めば、何かつかめるだろう、くらいの感じ。

しかし、実際こっちに来てみると、わりとあっさり課題が判明。事例研究の方法論。1年間だけの滞在なので、こちらでアンケート調査をできるわけではないし、インタビュー調査で深いデータがとれるとも思えない。可能なのは、日本の事例のデータを使って、論文を書くことくらい。その意味では、事例研究がキーになることはわかっていたのだけど、その方法論については、それほど意識していなかった。それが、ジャネット先生に私の論文を見てもらったら、速攻の一言。方法論がダメ。さっそく、文献をいろいろ紹介してもらって、勉強をスタートすることができた。

これは考えれば、考えるほどラッキーなことだった。私の今の能力を考えると、統計的な手法よりは、事例の方法論を地道に突き詰めた方が、よい論文を書ける可能性は高いと思う。さらに、事例の方法論が進んでいるのは、オペレーションズ・マネジメント、という異分野であり、私が普通に過ごしていたら、その議論に接するのはずいぶん遅くなっただろう。読む本や論文は山ほどあるけど、山ほど読めば、何かつかめると思う。論文執筆が一段落したら、早速方法論の勉強に戻ろう。

やっぱりこの歳になって、研究だけできる1年というのは、本当に貴重。なおかつ、家族と一緒で。さらに、勉強が終わるとうまくて安いビールが飲めて^^

昨日飲んだ、LONDON PRIDE。上品な味わい。まだまだおいしいビールがありそう。それが一番うれしかったりして。



イギリスの小学校

5月8日(火)

イギリスは昨日まで3連休。後の2日をほけっ・・と過ごしたせいで、ずいぶんと体が重い。ちょっと風邪気味な感じもある。ずっと気を張ってきた反動がでているのかもしれないな。気をつけないと。

子供たちも小学校に通いだして3週目に入る。今のところ楽しそうに通っている。渡航前、なんといっても子供の小学校が一番心配だっただけに、無事通学できているのは、本当にありがたい。

下の写真は登校初日。2人でお弁当袋を下げて小学校に向かう。自宅から徒歩3分のPortfields School。すごく評判のよい小学校で、ここに入るために、この場所に家を借りた、というのが本当のところ。ちなみに、次女は日本でいうと、この春から1年生なので、初めての登校になる。2人で登校するのも、やっぱり初めて。



初登校の前日、ちょっとした面談と制服購入のために、親子で小学校を訪れた。Headteacherに案内されて、子供たちと一緒に明日から入るクラスに向かう。子供たちを事前に紹介してくれるらしい。まずは次女のYear1のクラス。かっちこちに緊張している次女だが、なんとか自分の名前を英語で言えた。えらい。次に先生から「明日から、お世話をしてくれる子、誰ですか~」と声がかかると、ばばっと競うように手が挙がる。よく教育が行き届いている。親としては、これだけで少し安心できる。

長女のYear4のクラスでも、同じように、自己紹介の後に「お世話してくれる人は~」のくだりがある。やっぱり多くの手が挙がる。教室を出るときには、いろいろな子が長女に手を振ってくれる。日本で転校生、っていうと、教室の前に立たされた転校生を、教室全体が固唾をのんで見守る・・という定番の光景が思い浮かぶけど、ああいった固い雰囲気は全然ない。不思議なものである。

家に戻ってきて、子供たちに聞いてみると、やはり少しほっとした、とのこと。異国の転校生が安心して通える小学校をつくる、というのは、やっぱりちょっとすごい。おそらく、根本は小学校に務めることのステイタスが高く、優秀な人材が働いている、ということだと思う。もちろん、いろいろと問題もあるのだろうけど、素直に感心してしまった。子供たちも、いろいろなことを学んでくれるだろうと期待している。


ネット契約の顛末

5月3日(金)

ようやく自宅のネットがつながった。4月5日にこの家に入居したから、やっぱり1ヶ月ぐらいはかかったな。

契約したのは、virgin media。少しでも早く自宅にネットをつなぎたいと思って、大学のネットにアクセスできるようになって、すぐにvirginのサイトに行ってみる。どうもうちの家でもつながりそう、とのこと。値段もそれほど高くないし。しかし、銀行口座が必要なことが判明し、やや落胆。カードじゃだめか。

翌日、必要書類をもって、銀行に行く。しかし、正式な手続きは、そこでアポイントをとってから、後日となる。そこで3日ぐらい待たされる。改めて銀行に行き、2時間ぐらい説明をうけて(しかし長い)、やっと口座開設。次は、日本の口座から、新しい口座にお金を送金。日本の銀行はcitiだけど、送金の説明はそれほど親切とはいえない。1回手続きを誤り、後日再チャレンジ。なんとか送金が完了。その後、再度virginのサイトて、ネットの手続き開始。ふう。

ネット開始の手続きをネットでやる、というのもなんだか変な感じはするけど、とりあえず必要な情報を入力。これで終わりか・・と思ったところに、「ここに電話しろ」との画面が現れる。なぜ・・・。5分ほど逡巡。この日は、たまたま子供たちの小学校登校初日で「子供たちもがんばっているんだから・・・」と気持ちを奮い立たせ、えいやっと電話してみる(ちなみに、その日、子供たちは「すごく楽しかった!」と超ごきげんで帰ってきたのだけど・・・)。

「今、ネットで手続きをしたんだけど、電話しろの画面が出たから、しました」的なことを言ってみると、「今ネットの手続きは混んでいるから、この電話でもう一度申し込みしろ」とのこと。ネットが混んでる??そんなことあんのか?こっちは、電話で説明するのが嫌だから、ネットで手続きしてんだよ、という私の気持ちが向こうに伝わるはずもなく、1から電話で情報を説明・・・。しかし、こちらの名前を伝えるだけでも一苦労。本当に大丈夫か・・・と思いながら、悪銭苦闘の20数分。こんなに疲れる20分もないな、という感じで、・・・・なんとか終了。

家にルーターが届くまでに1週間ほど。つないでみても、ネットがつながらず、家の電話回線が壊れているんじゃないか、と疑い出したりして(すごい細いケーブルでちょこっとつながっているだけの、すごくちゃちな接続部分なので)やきもきしたけど、なんとかつながって、ほっと胸をなで下ろしたのが一昨日のこと。しかし、こうやって書いてみると、ネットをつなげるだけなのに、えらく苦労しているような気がする。まあ、こんもんなのかなぁ。

なんかいろいろ書くはずが、ネットの顛末でこんなに長くなりました。もう少し明るい話は、また後日に。

下の写真は、自宅前。信じられないような芝生が広がっています。めずらしく晴れた一瞬の風景。


小澤征爾さんと、音楽について話をする

4月4日(水)

特に予定のなかった1日。2日連続でホテルの部屋の清掃をしてもらっていたかったので(昨日は、やってもらうと思ったのに、なぜかされていなかった)、"make-up the room"の札を出して、早めに部屋を出る。午前9時半。

足はお気に入りのBury Fieldに向かう。ここはPublic Field Commonといって、誰でも入っていい草原。 広くて、あまり人がいないので、時間をつぶすにはもってこい。今日は、天気もよかったので、本当にすばらしい景色を堪能できた。でも、なぜかカメラを持って行くのを忘れて・・・記録がない。まあ、写真をとる機会は、何回もあるだろう、と気を取り直して、もくもくと歩く。今日は本当に予定がなかったので、コスタでの昼食を挟んで、午前と午後、合計3時間ぐらいは歩いていたと思う。でも、ずっといたくなる風景。もう少しで、この近辺に住めると思うと、やや気持ちが昂ぶる。

午後3時、ホテルに戻り(無事、清掃が終わっている^^)、休憩・・・と思ったんだけど、明日が家の契約の日で、なおかつ、契約書が手元にないことに気づく。明日、突然見せられても、すぐには全部読めないのは間違いない。私らしくない、なかなか、よい気づきである。早速、不動産に出向き(ホテルから徒歩30秒)、契約書を前もって読ましてくれないか、と頼んでみる。すると、持ち出すのはダメだけど、ここで読むならいいいよ、とのこと。早速、不動産屋のソファに座って、契約書を読む。難しいけれども、なんとか理解はできる。特に無茶なことは書いていない様子。壁に絵をかけるのダメ、たばこダメ、11時以降の音楽鑑賞ダメなど、事細かに書いてある。なるほど、そうなっているのか。いくつか聞きたいことはあったけど、明日でいいかと思い、読み終えるなり、ホテルに戻った。1時間半ぐらいかかったけど、有意義だった。

その後、パブでビールを2杯。2杯目をうまく小銭で払ったら、店の兄ちゃんが「お、小銭使えるようになったね」という感じで、笑ってくれた。ちょっとうれしかった。

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小澤征爾, 村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」

どちらも人物としても、物書きとしても大好きな人。2人が話しをしているシーンを思い浮かべるだけで、ちょっと楽しい。こんな対談集は、なかなかないだろう、という組み合わせ。これまでに対談集でおもしろい、と思った本はあまりないけれども、この本は特別。本が重いので、イギリスには持って行けないと思い、素早く読んだ。期待に違わない内容。これは、もう一回読むな。イギリスから帰ってからになるけど。

まず印象に残るのは、村上さんが音楽に関して博識で、まっすぐなこと。本当に、人生に音楽が染みこんでいることがよくわかる。また、村上さんの言葉を通して、マーラーの音楽が語られると、こうなるのか、といったところもおもしろい。小澤さんの言うように、村上さんの音楽好きはやはりちょっと度が過ぎているのだな、と確認。そらそうですよ。普通の人は、あんな風に指揮者や楽団による音楽の違いを楽しんだりはできない、と思う。

それと、村上さんのスイスでの音楽アカデミーの現地レポートを通じて、小澤さんの人となりがすごくよくわかることろもよい。小澤さんていうのは、自分の思いを実現させるためには、体がしんどかろうと、なんだろうと、とりあえずそのように動いてしまう人なのですね。そして、その行動の原点には、よい音楽をつくること、そして、よい音楽をつくる人をつくること、がある。ちょっとだけ、わかる気がする。あまり常識とか、人の目とか、効率性とか、自分の都合とか、そういったことは考えないのですね。だから、世界の小澤。納得です。

しかし、この本は貴重だ。何回でも読み返したい。それに、もっとクラシックを聴きたいな、と思わせる力もある。ちなみに、読了後、iTuneで、サイトウ・キネン・オーケストラの「巨人」を購入しました^^

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明日は、いよいよ車と家の契約がいっぺんに。うまくいきますように。

僕はいかにして指揮者になったのか

4月3日(火)

あいかわらずNewport Pagnellのホテル。もう6日もいるので、ある程度、生活にリズムができてきた。7時ごろ起きて、メールチェック。日本は午後3時だから、メールが結構入っている。その後、ひょろっとした、ややホモっぽい(ごめんなさい)お兄さんに給仕されて、朝食。コミュニケーションをとるのが好きみたいで、いろいろ言葉をかけてくれるけど、よくわからないときもある^^  現在、朝食は私のメインの食事。日本にいる時の倍ぐらいは食べて、カロリーをとっておく。ソーセージと卵、トマトとフルーツ。パンとコーヒー。そろそろ飽きててきているが、食べざるを得ない。

その後はだいたい、事務作業。今日は、自動車保険の会社に電話して、契約を詰めるのと、最大の関門、小学校入学の手続きの問い合わせ。いやはや、しどろもどろとは、このことだ、というくらいの、堂々たるしどろもどろ。小学校の担当者につながる電話番号を聞くんだけど、それが聞き取れない。最後は、相手があきらめて、勝手に電話を担当者のところにつないでくれました。なんや、できるんやったら、先にやってくれよ。その後、なんとか意思疎通ができたのか(たぶん・・・)、書類を送ってもらうことで、なんとか終了。最高にてんぱった15分間の後は、しばしの放心と自己嫌悪。やだねぇ、英語の電話って。まだいろいろしないといけないんだろうけど。

その後に外出。今日は郵便局でトラベラーズチェックを現金化したり、郊外のショッピングセンターに足を伸ばしたり、と精力的に動く。まあ、何かやっている方が、気持ちも楽になる感じはある。合間の昼食は、だいたいCosta(コスタ)というコーヒー店。マフィンではなく、サンドイッチにして、ささやかな野菜補給。イギリスでは、スタバよりコスタが圧倒的に優勢。コーヒーはおいしい。

夕方、ホテルに戻って、再度メールをチェックし、その後にホテルの下のパブで一杯。街には夕食を食べるところが、本当にない。みんな、やっぱりビール飲んで、終わりなんやなぁ。私もそれに従わざるを得ず、夕食はビールとポテトチップスとなる。こんな生活で、なんで英国人の成人はみんな太るんでしょうね。やっぱりビールか。

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さて、渡英前に何冊か本を読んだんだけど、覚えている範囲で、記録に残しておこう。もう少し暇な日々が続くから、1冊ずつ丁寧に行きますか。

佐渡裕「僕はいかにして指揮者になったのか」
佐渡裕氏が指揮者となっていく様子を、本人がまとめた自叙伝。本来、フルート(だったと思う。手元に本がなくて)奏者だったのですね、佐渡さん。本来的に実力があるからだろうけど、指揮者としては全く恵まれていない境遇から、あれよあれよと一流の指揮者への階段を駆け上がる姿は、奇跡、とすら感じさせる。そんなことあるんやなぁという感じ。日本人離れした大きな体と、明るいキャラクターで誰からも愛されるところも、奇跡の成功物語と関係あるかもしれない。
そういえば、読んだんだときの印象は、小澤征爾「ボクの音楽武者修行」と似ている。2人のような日本人の音楽家がいることに感謝しなくては。日本人は、やっぱり捨てたもんじゃないんだ、と自分に言い聞かせてみよう^^ 私は全然関係ないんだけど。

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さて、明日はとりあえずやることがあまりない1日になりそう。どうするかな・・・。

マイケル・K

4月2日(月)

NewPort Pagnellのホテル。時間は朝の5時。まだ時差ぼけが完全にとれないのか、昨日は10時ごろと、ほぼ普通の時間に寝たのに、4時過ぎに目が覚めた。まあ、慣れない環境にいるから、ちょっと神経質になっていはいるんだろうけど。

というわけで、イギリスは5日目。最初の2日間は、すごく天気がよくて、春のイギリスを満喫!って感じだったんだけど、その後は曇天&花冷え(とイギリスでは言わないと思うけど)。なにしろ暇な時間が多くて、散歩ばかりしているんだけど、寒い寒い。それに乾燥しているから、肌の調子もいまいちな感じ。健康には気をつけないとな。

ここまでの4日間で、なんとか家にメドはつけることができた・・・と思う。到着2日目、さっそく以前からコンタクトを取っていた不動産屋を訪れてみるも、「家具付きの家はないね。出てくれば連絡するから。」と一蹴される。その後も、3軒不動産屋を回ったけど、どこも同じ。ものの5分で終了。慌てて大学に相談したりしたけど、特になんということもなく。この日の夜は正直眠れなかったです。

ただ、こちらの知人、淳子さんが電話をかけてきてくれて、相談に乗ってくれたり、現在スコットランドにいる大学院の後輩・石さんも電話をくれたり。気を遣ってくれる人がいて、本当に、本当にありがたい。人生にコミュニケーションは必要なんだ。リアルに実感できる時。

その後、家具付きの家をあきらめて、ネットで住む範囲を限定して探すことに。物件情報は完全にネット掲載に移行していて、ネットがなければ、家探しは無理な感じ。そこで2つ物件を見つけて、昨日、見学に行ってみた。最初に見た物件は、環境がすばらしいが、狭くて・・・高い。2軒目はお話にならなかったので、1軒目にしようと思う、と不動産屋に伝える。仕方ないなぁ・・予算をオーバーするけど、子供のためだと思って、1年の贅沢。しかし、円高でよかった。不動産屋の兄ちゃん(スティーブ、だったかな?)がとてもよい人で、いろいろ丁寧に教えてくれる。家族でくる、といったら、brave manと言われたたりして。はは。

物件への入居は、7日まで待たないといけない。それまで、孤独なホテル暮らしが続く。無理せず、でも怠けずいこう。

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J.M.クッツェー「マイケル・K」
クッツェーの小説は「恥辱」に続き、2作目。世界デビューした作品とのこと。口唇裂(こうしんれつ)で、唇と鼻の一部が裂けている主人公のマイケル・Kが、戦争さなかの南アフリカ・ケープタウンを体の不自由な母と抜け出そうとするところから、物語が始まる。途中、母を亡くし、いくつかの収容所に押し込まれるが、そこを抜けだし、あらゆる束縛を拒否しつづけるマイケル・Kの人生が淡々とした記述で描かれる。途中、母が幼少時代を過ごした(であろう)土地では、人の目をさけるために、夜中の作業だけでカボチャを作り上げる。寝床は手作りの洞窟。パチンコで取った鳥や虫を少しだけ食べて、なんとか生をつなぎ止める生活。生への執着はないんだけど、あくまで自由に、生きたいように生きようとする姿が、徹底している。豊かな生活を求める「自由」とは異なる「自由」のあり方が、強い印象を与えている。

本とは関係ないけど、最初に思ったのは、「なぜこの本をこの時期読む本として選んでしまったのか」ということ。渡英直後の不安な時期に、マイケル・Kの孤独な、明らかに、路頭に迷っている生活(本人が求めているものだが)を読んでいると、不安な気持ちが明らかに増幅する。しかし、時間はあるし、読む本は、とりあえずこれしかないので、読み続ける。なんで自分で自分を不安定にしているんだ、と^^

もちろん、確実に心に迫る小説だし、さすがクッツェーと思わせる。物語に起伏があるわけではないに、読ませる力は衰えない。だだ、そこで受ける印象を言葉にするのはとても難しい(巻末の解説も正直、よくわからなかった)。あえて言うとすれば、「ほっておいてくれ。世界の中で俺一人の存在が、なんだというのだ」という自由のあり方とそれを阻止しようとするあらゆる暴力の表現、なのだろうか?

マイケルの存在がすごく気になる若い医師は、食べないマイケルに必死に流動食を勧めるが、マイケルは骨と皮だけになっても、それを拒否し続け、最後に病院を脱走する。結果、マイケルの生き方は、医師の手紙の形の独白を通して、読者に強く印象づけられる。おまえは特別な人間だ、と。

・・・書いていて気づいたけど、マイケルの求める「かまわないでくれ」という姿勢が一貫しているほど、マイケルは特別になり、他でもない誰かになる、というパラドックスがあるんですね。そうか。すごいな。

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こんなに時間があるなら、もっと日本語の本を持ってくるべきだった。あとは当分、iPadに入ってる本を読むしかない。夏目漱石の残りの作品でも読もうか。

暇に任せて長くなってしまいました。UKバージョンは特別編(生活の記録が多くなりそう)だけど、毎回長くなりそうです^^


旅立ちの前に

3月26日(月)

今日は渡英前、最後の大学勤務。本当は、ブログを書いている時間なんてなかったはずなんだけど、事務の人が渡航後にメールで送ってくれるはずの資料を、急いで作って、事前にくれる、といっているので、好意に甘えて、待っていることにした。15時からは、通勤に使っていた愛車、プレオを売りにいく。その後は、家で荷造りの続き。準備もいよいよ大詰め。

不安だらけ、といえば、そんな気もするし、 落ち着いているといえば、 そんな気もする。1つ言えるのは、今までにはないような感覚があること。目の前に、おそらくすごく苦労するだろうな・・という近未来があって、でもなんとかそれに落ち着いてそれに向かっていく感覚。そうか、長期の海外渡航の前ってのは、こんな感じになるのだなぁ。

しかし、在外研究というのは、不思議な気がする。結構多くの研究者が海外に行くし、それ自体は全然珍しいことではない。でも、これ行くとなると、結構大変ですぜ、旦那。本当に、みんなこんな大変なことをクリアしながら、行っているんだろうか?行っているんだろうな。だから不思議。

正直なところ、程度の差こそあれ、みんな行くって宣言してから、「なんでそんなこと言ってしまったんだろう」って後悔するタイミングがあるんじゃないだろうか??

でも、それでも行く人がいるのは、やはり苦労を補ってあまりある楽しみがあるからなんだろうか。そう信じて、明日の飛行機に乗ります。

では、行ってきます。


いつか大人になる日まで

2月23日(木)

今日の朝、ようやく在外研究用のvisaが届いた。こんなにほっとすることってないな・・というくらいの安堵感。大阪でのvisa申請の時に、ちょっとトラブル(というか、私の完全なミスだけど)があって、なんとかとりつくろって申請。かなりのショックを受けた。詳細はまだここに書く精神的余裕がない^^ その後に風邪で寝込んで、さらに、左目にもウィルスが入って、炎症を起こして・・・ショックの大きさが体に表れるところが、私らしい。

でも、無事にvisaを取得できて、エアチケットも確保できたので、これからは前向きにいろいろ計画を進められそうである。まずは一山越えた・・・か・・・。在外研究の間、あとどのくらいの山があるのかわからないのだけど。これは論文書き(というか、博士論文書き)にも似ているかも。

少し時間的に(精神的に?)余裕ができてきたので、ぼちぼちと本を読む時間が増えてきた。まあ、軽い本ばかりではあるけど、やはり本が読めるというのはいいものだな、と思ったりして。

柴門ふみ「いつか大人になる日まで」
visa申請の翌日、妻の実家の誰も見向きしない本棚でたまたま見つけた。漫画「あすなろ白書」の掛居保、というキャラクターの幼少時代のストーリーを小説としてまとめたもの。実は、大学生のころ、「あすなろ白書」を夢中になって読んでいたころがあって、著者と同様に、掛居君のキャラクターには、私も思い入れがあったのだ。こんなところで出会うとは、掛居君。
母子家庭に育ち、自分の想いを素直に表現しないことを条件づけられて育つ掛居君の幼少時代。掛居君は家庭の環境がつらすぎてそうなるんだけど、私が若い頃感じていたのは、臆病であるが故に、「いい子」であるというスタンダートから逃れられず、自分を表現できないもどかしさ、だったと思う。なんだか掛居君に似たところを感じて、当時一生懸命「あすなろ白書」を読んでいた記憶がある。
やはり漫画を専門とする人の書いたものなので、小説としての完成度は今ひとつかなと感じる。でも、掛居君は魅力的。著者と同じように、世間でも掛居君が気になった人は多かったのだろうな。偶然、この本に出会えて、若い時の気持ちがよみがえった気がした。

村上春樹「やがて哀しき外国語」
出版直後に読んで以来の再読。やはり自分が外国に行くことになって、ちょっと気になり、熱のある頭で読んだ。今読むと、1990年代の時代の雰囲気が感じられておもしろいな、思う。湾岸戦争のころは、私はなんと高校生!だったのだな。

村上春樹「おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2 」
昨年の夏前ぐらいの出版だと思う。すぐに買ったはずだけど、そのときはなんだかトーンが合わなくて、最初の数ページを読んで置いておいた。ちょっと前にふと目について読み出すと・・・おもしろいこと。いくつかのストーリーは声を出して笑ってしまった。なんの話だったか、今は思い出せないけど・・・でも、そのぐらいの軽い感じがこの本の持ち味ですね。イラストを描く大橋歩さんが、巻末に村上さんとの仕事がいかに特別かって話を書いていて、とてもよくわかる気がした。「なんであなたがっ」ていわれるのが、逆にうれしくなるぐらい、特別な作家、ってことですよね。

中山元「フーコー入門」
フーコーの概説書。誰でもわかるってほど簡単ではないけど、とてもよい本。私の師匠が昔から「監獄の誕生」という本の話をよくすることがあって、なんだかよくわからなかったんだけど、今回その謎が解けた。囚人は監獄で監視されているうちに、自分から監視の目を意識した行動を取り出すという、フーコーの権力への洞察。こんどは、実際に「監獄の誕生」を読んでみよう。

ヴェニスの商人

2月1日(水)

久しぶりに予定が入っていない午後。昨日が卒論提出日で、卒論指導は一段落・・・、ではなくて、一時休憩。人数が多い分指導も不十分で、再提出を指示しなければならない学生が続出しそう。まあ2月も引き続きやるか・・・。

一昨日にはwebでvisa申請の書類を作成し、ようやく申請センターのアポイントをとった。予定より1ヶ月も遅れた・・・しかし、まあ、書類作成の面倒なこと。5時間かかって、終わったのは深夜2時半。最近は学会報告前でもこんな時間まで起きてないんだけど。ほんと、無事許可されることを祈るのみ。その前の週は、講演会開催の仕切りをやり、数日後には東京、神戸と研究会周り。よく風邪を引かなかったなぁ。東京は寒かったけど、研究会は楽しかった。徐々に研究会らしくなってきたような。次回は参加が微妙だけど、福岡、行きたいなぁ。

しかし、寂しい読書生活が続いています・・・。

池上彰「伝える力」
疲れている時には、池上さんの本、ということで、手に取った。めずらしく、パワーシティの宮脇書店で購入。内容は、この類の本でいえばごくごく初歩的で、一般的な内容かなと思う。ただ、読んでいるうちに、池上さんって会って話すと結構厳しい人なんじゃないかな、と感じた。やさしくてニコニコしてるイメージだったけど、上司になれば、結構厳しく指導されるのではないかなぁ。ダメな人にははっきり言いそう。やっぱりよい上司ってことか。

ヴェニスの商人
実はシェークスピアの本は、「ハムレット」と「リア王」しか読んだことがなかった。イギリスに行くんだし、と思って、手に取ってみる。商業を研究しているんだしなぁ(あまり関係ないけど)ということで、第1弾はこれ。短編で手軽だし、内容も特に深いってことはなくて、なんだか落語みたいな印象かな、と思う。「リア王」の印象が強かったので、ちょっと意外。「オセロ」と「マクベス」は渡航までに読んでおこう。

渡航するととりあえず本を読む時間はあるかな、と思ってたけど、よく考えたら、あまりプライベートの本はもっていけないんだな、と気づく。ipadを買うと、少しはいいかなぁ。

年のはじめに

1月5日(木)

2012年がスタートし、今日は仕事始め。教授会だと思っていたら、来週だった。というわけで、会議を2つほどこなした後に、ぽかっと時間が空いた。やるべきことは山積みだけど、つかの間の休憩。

年末は25人いるゼミ4年生を3つに分けて、3つの忘年会に参加。それぞれに好みがあり、楽しみがあり、不満があり、苦悩がある。少しでも彼/彼女らの手伝いができればいいのだけど。最後の忘年会が終わると、二日酔いの体を引きずりながら関西へ。30日には神戸で研究会メンバーと家族でランチ。楽しい時間はあっという間に過ぎる。来年はスイスで研究会を開催予定。こちらも楽しみ。その後、妻の実家に向かい、31日にはケース原稿を1つアップ。やれやれ。その後、義理のお父さんの中古パソコンのセットアップに挑んで、新年を向かえる。苦心しながらも(最初はネットも繋がらなかった)、なんとかSkypeのセットアップに成功。ほっ。お父さんには、一眼レフのカメラを貸してもらった。ありがたい。その後は三宮と近くのSCで買い物、買い物・・・。イギリス行きに向けて買う物が多いのだけど、いちいち買うのに時間のかかること・・・。今週末誕生日を迎える長女へのプレゼントに、ピンクの電子辞書も購入。早速渡したら、とても喜んで、ずっと眺めていた。ちょっと高くついたけど、ずっと使えるものだし、まあよし。ただ、来月のカードの請求が、ちょっと怖い^^

というわけで、新年になり、イギリスに出発するまであと3ヶ月となった。ぼちぼち準備は進むものの、まだなんとなく実感がわかないような、でも怖いような、楽しみなような、変な気持。研究については、やる時間さえ確保できれば、それなりに進み、頭は割と冴えている気がする。徐々に気分を盛り上げて、ゆっくりピークをつくらないと。

いずれにしても、チャレンジできる、ってのは幸せなこと。良い年にしたい。