日の名残

8月31日(水)

引き続き、イギリスに滞在中。一昨日から、ニューポート・パグネル、という街にいる。来年度滞在予定のクランフィールド大学の近郊で、かつてこの大学にいた私の共同研究者が住んでいた町である。人々は穏やかで、静か。よい環境で、とてもリラックスできる。ロンドンとは異質の世界。昨日はシティセンターの裏手にある草原を1時間ぐらい歩いた。まさにイギリス、という感じの場所。



もちろん、大学にも視察を兼ねたミーティングで訪問。大学は新学期。中国人が多く目についた印象。




さて、渡航前、イギリスにどの本を持って行こうか、と考えた時に、ふと頭に浮かんだのが、カズオ・イシグロの名前だった。日本生まれだが、すぐに渡英し、英語で小説を書く。ブッカー賞受賞者で、村上春樹さんが新作を心待ちにする作家。イギリスに向けた飛行機の中で読む本として最適である。

持ってきたのは「日の名残」。第二次大戦後、英国で執事として働くスティーブンスの1人語りで話しは進む。執事としての仕事に情熱を傾け、かたくなに執事の「品格」を守ろうとするスティーブンスの仕事とそれに絡む人々との関係が淡々と語られる。前半の中心は、同じく執事であった父親との話。そして、女中頭であるミス・ケントンとのほのかな恋愛の話が最後の盛り上がりをつくる。執事の品格を守ることが彼の人生であるが故に、尊敬する父や、思いを寄せてくれる女性に人間らしく対応できないスティーブンス。悲しみがじわじわと迫ってくる、不思議な感慨のする小説である。

ただ、主人公のまじめさ、堅さは、どこか私に重なるようなところがある。おそらく小心で、大胆に自分を楽しませることができないんだけど、堅い仕事を理由に、それを正当化するような・・・そんな感じ。でも、それも悪くないんじゃないかな・・と思う自分がいたりして、難しいところである。

イギリス滞在もあと1日。台風が迫る日本に、ちゃんと帰れるだろうか・・・心配。


ロンドン街歩き

8月28日(日)

イギリスに来ている。来年予定している在外研究の下見のために、滞在予定の大学を訪れたり、家を見つけたい街の様子を見たりする予定で5日間の滞在。イギリスは初めての訪問。

昨日と一昨日は、ロンドンに滞在した。主な目的は、小売店舗の視察。できる限りの小売施設を回ろうと、地下鉄を乗り回しながら、ぐるぐると街を歩いた。2日で3万歩も歩いたのは、この携帯付属の万歩計を使い始めてからの最高値。足がすこぶる痛い。

ロンドンの街を歩いていると、いろいろなことを考えさせられる。ソウルや上海も興味深いけど、ロンドンも同じように興味深い。今日はホテル近くのケンジントン・パークを歩いて、大都会の真ん中にこれだけ大きな公園があることに、やはり驚嘆。皇居も大きいけど、この公園は一般の人が自由に入れるところが違う。日曜日だったせいか、犬の散歩をする人、ジョギングする人が多く見られた。散歩しててても、どうも風景から浮いている気がして、やや落ち着かないけど、気持ちよい散策ができる。


ケンジントン・パーク

小売施設の方もなかなか。老舗百貨店・ハロッズも、いろいろ探せば語り尽くされているのだろうけど、すごく印象に残った。この大都会の真ん中で、未だに家具や家電を売っている百貨店があるとは・・・。おそらく、郊外の巨大家電量販とか、家具のディスカウンターなどが未発達なんだろうけど、それでもあの光景は印象的だった。写真は、もう1つの老舗百貨店、リバティ。こちらは、百貨店というより、品のいいファッションビルみたい。たぶんフロアは、109の半分ぐらいかな。


リバティ

老舗の百貨店の戦略としては、「観光客用の購買の場所」として確立しているところが共通しているよう。これは日本の百貨店は学ぶところが多いのではないかと思う。大阪・梅田の百貨店なんか、あれだけ集積させて同質的な競争をしているのだから、1店でもグローバルに集まる観光客に向けたフロアを作ればいいのに、と思う。日本伝統の織物、小物、盆栽なんかを集めたフロアを作れば、海外のお客さんは大喜びだと思う。

それに、おもちゃの店、ハムレイズ(Hamleys)の店内演出もよかった。多数の店員が、フロアでおもちゃの実演をして、子供を楽しませると同時に、おもちゃの魅力を伝えるマーケティングもおこなっている。ディスニーランドみたいな楽しい雰囲気があるし。あれは日本でも受けるだろうし、日本人はあの手のサービス、得意だと思うんだけど。

その他にも、セビル・ロウ(オーダーメイドのスーツの聖地)やイギリスおみやげの専門店(あんなのが東京や高松にあってもいいね)なんかも回って、いろいろ勉強になった。でも、一言書いておくとすると、ロンドン街歩きは、仕事的には興味深いんだけど、個人的にはあまり「おもしろい」とは感じない、ということ。この歳になって1人で異国の街を歩いていても、心の底からfunnyとしての「おもしろさ」は感じないんですね。家族や友達と語り合うことのできない異国の街は、そういう意味で、どうというところのない場所である。寂しいような、幸せなような、複雑な心持ちのする異国の街歩きだった。