地頭

7月18日(水)


「地頭がよい」という言い方は,正式な日本語ではないのだろうけど,おおよその意味は通じるのではないかと思う。努力して頭がよくなったのではなくて,もともとの頭がよい,という意味。小中学校の頃に,ほとんど努力しないにもかかわらず,すごく成績のよい人がいたし,苦もなく東大や京大に入ってしまう人もいる。研究者の世界でいうと,私たちが努力しても全く歯が立たない,あるいは,最初からお手上げで,努力さえ断念してしまような問題を華麗に解いてしまう人たちである。天才,というと,ちょっと大げさすぎるのだけど,言葉の意味としては近いのかもしれない。こういうに出会うと,「ああ,この人とは生きている世界が違うなぁ」と感じることになる。

私のいる経営学の分野にも,地頭がよいなぁと感じる先生方が何人かいる。でも,経営学(だけじゃないかもしれないけど)という分野は,少なくとも日本においては,地頭がよくなくても,一応この職業を続けることができるし,努力さえ怠らなければ,そこそこ学会でも活躍できるのではないか,というの私の持論だ。経営学の場合,もちろん,数学や統計学,論理的な説明の理解など,頭の良さが問われる側面はある。でも例えば,インタビュー調査や共同研究を進める上ではコミュ二ケーション能力を問われるし,現実に起こっている多様な経営現象を理解するためには,学問的な知識だけでなく,継続的に社会的な情報を収集しなくてはならない(いくら頭がよくても,初めて行く異国の社会状況は1日では理解できない)。つまり,頭の良さ以外の要素が研究者の能力の結構な部分を占めることになるので,地頭がよくなくても一応経営学者としてご飯を食べていくことができる,ということである。他の分野のことはあまりわからないけど,経済学ではたぶんこうはいかない,と思う。

しかし,イギリスに来て,あるいは,海外の学会に参加するようになって感じるのは,世界のトップは,地頭のよい人たちが,その他必要な能力も携えながら,しかも努力し続けているんだなぁ,ということである。トップジャーナルには,地頭のよさそうな人が,それこそ何年もかかるような地道な調査から結論を引き出している研究が多い。また,学会ですごく的確な質問をするなぁ,と思って,年齢を聞いてみると,私よりずいぶん年下だったりする。はぁ・・とため息しか出ない。

正直,日本ではこういうことを感じることは少ない。地頭タイプではなくて,その他能力タイプが圧倒的に多い。このことは今まではあまり気にならなかったのだけど,最近は,本当に地頭のよい人たちが日本の経営学の世界にはいってきていないからではないか,と思うようになった。昔からそうなのかもしれないし,地頭のよい人の割合が多くないのは当たり前だともいえる。でも,今後,日本の経営学が世界の中で少しでも存在感を高めようと思えば,地頭がよくて,なおかつ,経営学に必要な能力を備えている人たちをもっと呼び込まないといけないはずだ。

そのためには,研究者,大学の先生という職業の魅力を今よりも高めないといけない。報酬と労働環境を改善しないといけないのはもちろんだけど,社会とのつながりをもっと強くして,その能力がきちんと社会に貢献することを示し,社会からリスペクトされる存在にならないといけないのではないか。でも日本の大学を取り巻く状況は,どちらかというと逆の方向に動いている。特に労働環境(仕事量の多さ)は悪化の一途をたどっている。日本の経営学の将来は暗い・・・という結論しか出てこない。

ちなみに,当たり前だけど,世界にもその他能力タイプの人たちはいる。発表時間20分,といわれているのに10分で終えて,厳しい質問が出ても適当にしか答えない。ようやく終わって,落ち込んでいるのかと思ったら,共同研究者と笑顔で握手している。有名な学会で報告する,ということが主たる目標なのだろう。だから日本だけが特殊な訳ではないとは思うのだけど,それでももっと地頭のよい人よカモン・・・と思わずにはいられないのです。

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