残り1ヶ月

2月17日(日)

ずいぶん日が長くなった。17時過ぎなのに,まだずいぶん明るい。珍しく,夕方ダイニングでPCに向かっているけど,目の前に夕焼けがあって,夏頃のまぶしい日差しが思い出される感じ。イギリスも春に向かっているようだ。

在外研究も残り1ヶ月と少し。仕上げのような時期に入ってきた。この11ヶ月を振り返ると,まず思うのは,やはり国際舞台で学者が活動するためのベースは「英語」である,ということ。英語の文献を読みこなすスピードは必須。論文はもちろん,本もある程度読みこなせないとしんどい。さらに会話。やはりある程度会話ができる,と思っていないと,積極的になれない。英語を書くことについては,なんとかなる範囲が大きい。英辞郎で表現を調べ,google scholarで頻度をチェックする。イグザンプラーとなる論文から,表現を借りる。そういった工夫で,なんとか書けるようにはなる。

私自身の英語に関して言えば,まだまだ課題は多いし,こちらでもっとやれたことがあったと思う。でも,まあ,なんとかネイティブと英語で会話できるようになったのだから,次第点かなぁ^^ これからもしっかりやらなくては。ちなみに,子供たちの英語が予想以上に上達したのはうれしい限り。まさか,子供たちに英語の発音を注意されるとは思ってなかった。それに,それが結構悔しい,ということも初めて知った^^ 

もう1つ,こちらに来て強く感じたのは,自分という人間の成り立ちというか,本質について。考えてみれば,幼少時代はおっかなびっくり。いろいろなことに不安と恐れを感じながら,細々と生きてきた人間が私であった。すぐお腹は痛くなるし,電話は間違い電話が怖くてかけられない。ちょっとどこかが痛いと,何か大きな病気ではないか,と心配する。湘南に住んでいた時は,すごく地震と津波が怖かった。

そんな人間が,何の因果か,学者という職業について10年。それなりにやれるようになってきた。日本の慣れた職場にいると,本来持っている臆病な気質が,なんだか雲に隠れるようにごまかされていたのだ。いろいろなことが普通にできる人間のように感じてしまっていた,日本での私。

でも,英国にきて,また本来の臆病な自分に改めて出会った。正直,ちょっと面食らった感じはある。そうだ,私はこんな人間だったのだ,と。ある意味,自分に失望し,でもなんだか懐かしいような,そんな感じ。若い頃は,こんな弱い自分をなんとか受け入れようと必死だったのだ。そう思うとこの11ヶ月は見えにくくなっていた本来の自分にもう一度出会った期間だったのかもしれない。この気質とうまくつきあわないと,私はうまく歩けない。

とはいえ,学者としてであれば,こんな自分を抱えながれでも,なんとかもう一歩先に進める「やり方」はあるのだと思う。その方向性が見えたことが,この在外期間中の最も大きな成果かもしれない。幸いにも,私は個人的にやりくり出来る「学者」という職業を選んでいたのだ。やれるように,でも怠けないで進んでいけば,なんとかもう一歩先にいけるのではないか。そんな希望は,確かに感じる。

********

明後日から3日間は,研究から離れて少し家族と羽を伸ばそうと思う。その後は,ちょっとスパートをかけて,よい締めくくりで日本に帰りたい。讃岐うどんは恋しいけど,バリーフィールドの景色を見ると,残り少ない時間が残念でならない。でも,そんな複雑な気分になれただけでも,この経験はよいものだった,といえるのかもしれない。


0 件のコメント:

コメントを投稿